鎌田大地以外には? クラブとの別れ方が最悪だった選手10人。様々な理由で関係悪化に…
FW:カルロス・テベス(元アルゼンチン代表) 生年月日:1980年12月20日 所属元:マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 移籍先:マンチェスター・シティ(イングランド) カルロス・テベスはマンチェスター・ユナイテッドでレジェンドの1人になる可能性を秘めていた。しかし、実際は退団時の印象の悪さとその後の行動によって修復不可能なほど嫌われてしまっている。 この元アルゼンチン代表FWは2007年夏にウェストハムからのローン移籍でマンチェスター・ユナイテッドに加入した。ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドらと強力アタッカー陣を形成し、在籍した2シーズンでプレミアリーグ連覇を達成。在籍初年度の2007/08シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝も経験した。 マンチェスター・ユナイテッドで通算99試合34得点14アシストと多くの得点に絡んだことから完全移籍での獲得が濃厚かと思われたが、テベスは“赤い悪魔”ではなく、同じ街に本拠地を構えるマンチェスター・シティに移籍。同クラブはUAE資本となったばかりであり、「お金に目が眩んだ」ようにも見える移籍騒動だった。 この時点でサポーターからの印象は最悪だったが、マンチェスター・シティがプレミアリーグを制した2011/12シーズン終了後のパレードで追い打ちをかけるような言動に出る。「R.I.P. FERGIE(ファーガソン、安らかに眠れ)」というボードを掲げ、マンチェスター・ユナイテッド時代の恩師であるアレックス・ファーガソンを揶揄したのだ。宿敵への移籍に、挑発と最悪の裏切り方だった。
MF:ファビアン・デルフ(元イングランド代表) 生年月日:1989年11月21日 所属元:アストン・ヴィラ 移籍先:マンチェスター・シティ ファビアン・デルフがアストン・ヴィラのサポーターから「スネーク(蛇)」というあだ名がつけられたのには理由がある。 リーズ・ユナイテッドのアカデミー出身であるデルフは、19歳の若さでバーミンガムの古豪に引き抜かれた。ティム・シャーウッドが監督に就任した2014/15シーズン途中からは主将に就任すると、同シーズンのFAカップ準優勝に貢献し、その頃からイングランド代表でも常連となっている。 しかし、この充実したシーズン終了後に物議を醸す行動に出る。デルフはアストン・ヴィラと2015年1月に長期契約を結んでいたのだが、半年後にマンチェスター・シティからの関心が寄せられた。そんな中でもキャプテンはクラブ公式サイトで「僕は気づいている。メディアの憶測が広がっていることを。ただ、僕は退団しないよ。このシーズンを偉大なクラブのキャプテンとして迎えられる時が待ちきれない」と、事実上の残留宣言をして、移籍騒動に終止符が打たれた、と思われた。 ところが、マンチェスター・シティがデルフに好条件で再オファーすると移籍が成立。これは残留宣言から6日後のことで、口約束など何も意味しないことを証明した。さらに移籍金は、2015年1月の新契約で付随されていた1150万ユーロ(約16.1億円)という安い契約解除金であり、同年夏にリバプールへと移籍したクリスティアン・ベンテケのように高額なお金もクラブに残さなかった。 期待を高めてから裏切る行為にクラブやサポーターは激怒。彼がアストン・ヴィラの本拠地ヴィラ・パークに凱旋する度に盛大なブーイングを行い、つけられたあだ名である蛇の人形をデルフに見せつけるように掲げた。