「三輪山」:天皇と伊勢神宮の謎を解くカギ
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皇室にゆかりの深い神社といえば、伊勢神宮が思い浮かぶが、大神神社も負けてはいない。「ヤマト建国の地=纏向(まきむく)」に隣接する由緒正しい神社だ。 三輪山はお椀型の典型的な神奈備山(かんなびやま、神の鎮座する山)で、ヤマトを象徴する霊山だ。ヤマト政権は、その三輪山麓で産声を上げ、7世紀に至るまで、天皇家の大切な霊山だった。たとえば天智天皇が近江遷都を敢行した際(667)、額田王は三輪山との別れを惜しみ、「懐かしい三輪山を、どうか隠さないでほしい」と、雲に願う歌を作っている(『万葉集』巻1-18)。また天智天皇も、三輪山の神を近江宮のそばに勧請(かんじょう)している。これが日吉大社(滋賀県大津市)であり、王家と三輪の神は、切っても切れない関係にあったことがわかる。 しかし7世紀後半の伊勢神宮整備、8世紀前半の『日本書紀』によって「伊勢神宮に祀られる女神・天照大神(あまてらすおおみかみ)」がもっとも格式高い神と唱えられ、次第に三輪の神は軽視されていくことになる。だから、今上天皇の御親拝は、じつに感慨深いものがある。
本文:2,163文字
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関裕二