「推しの子」と「すしのこ」をコラボさせた新社長の決断 タマノイ酢が若返らせたロングセラー
ゲーム広告制作で得たもの
播野さんは2007年、広告会社のアサツーディ・ケイ(現・ADKホールディングス)に入社し、主にゲームの広告動画などを中心に手がけていました。 中でも印象的だった仕事は15秒~30秒のCM制作です。実際にゲームをプレーし、その魅力を10個上げて短い時間に凝縮するため、ギリギリまで要素を削りこむ作業はハードでした。 何を魅力ととらえ、限られた時間でどう伝えるか。これは、自社商品の良さを伝えるという点で今の仕事との共通点が多いといえます。 「コンビニとかスーパーに並ぶ商品を買うときは、じっくり見るというより、衝動で心が動かされたものを選ぶ傾向があります。短い時間で最大限に魅力を伝えないと、人の心は動かないのかなと感じました」
工場や飛び込み営業で修業
播野さんは3年ほど広告業界に身を置き、祖父が体調を崩したのをきっかけに家業に関わることを決意します。入社直後に平社員として配属されたのは、前職と畑違いの工場の現場。人事を決めたのは社長の父でした。 当時はまだ20代。お酢のタンクを洗う工場内の力仕事や飛び込み営業など、現場仕事を中心にこなしました。社内の部署を一通り回りましたが、どれも前職の広告制作とは方向性が異なる仕事でした。 その後は東京を拠点として働きはじめます。主に営業の仕事をするなかで、タマノイ酢に思い入れのある企業が多い大阪に比べると、地域性の違いを感じたといいます。熱心に商品を見せ、足しげく通うと受け入れてくれるものの、タマノイ酢をどうPRするのがいいのかを悩み、鍛えられた期間となりました。 「先代は経理や人事など管理部門中心で働いていました。自身とは逆のレールを敷くという意味で、現場修業を積ませてくれたかもしれません」
乏しかった社外との交流
営業として働くなかで、播野さんはタマノイ酢が他の食品メーカーと比べ、社外との付き合いが少ないということに気づきます。 「印象的だったのは、支店長を務めていたころ、部下のチームリーダーから『得意先から会食に誘われたんですが、行ってもいいですか』と聞かれたことです。現場では、外部との交流がしにくい空気感があるのだろうか、と感じたのを覚えています」 播野さんは東京勤務時代、同じオーナー系企業で集まる機会を生かし、仲間とのネットワークを広げました。交流会などに部下たちを連れていき、現場間の関係を深めるように心がけました。実際、他社の社員と仲良くなり、貴重な情報交換ができるようになったといいます。