「釜石でラグビーW杯」の夢をかなえた宝来館女将 台風19号にも「物語はこれから始まる」
2019年9月25日。東日本大震災で全壊となった小学校と中学校の跡地に建てられた「釜石鵜住居復興スタジアム」に小中学生の歌声が響いた。航空自衛隊の飛行チーム、ブルーインパルスの航空機6機が、青空を不死鳥をかたどった編隊で飛ぶ。 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会のフィジー対ウルグアイの試合前。目の前で繰り広げられる光景を前に、着物姿に大漁旗の半纏を羽織った料理旅館「宝来館」の女将、岩崎昭子さん(63)は、招待席でただただ祈り続けていた。前の晩はほとんど眠ることができなかった。 「無事に終わりますように…」 「見ている子どもたち、そしてここに集まった人たちにとって、一生の思い出になりますように…」
「だったら、ここでやってけれ」
東日本大震災で1000人以上の犠牲者を出した岩手県釜石市。かつて日本選手権7連覇を果たした新日鉄釜石の本拠地である「ラグビーの街」は、巨大津波によって姿を変えた。 岩崎さんも、山の上に逃げる途中、背後から津波に飲み込まれた。恐怖感も痛さもなかった。「54歳だけど、死ぬときはこんなもんなのか」と思い、水に流されながら気を失っていた。気付くと、真っ暗な中で上のほうが薄明るく見えた。必死に水の中を上がり、旅館のスタッフが伸ばす手を握った。 九死に一生を得た岩崎さんだったが、しばらくしてあることに気付く。昔の街の風景を思い出すことができないのだ。 「あそこには何があったんだろう」 「どんな花が咲いていたんだっけ」 何とか思い出そうとするのだが、津波に破壊されて灰色になってしまった風景を前にすると、絵が思い浮かばない。 そんな頃だった。岩手県出身のラグビーの元日本代表、笹田学さんが見舞いに訪れた。海岸を歩いていると、笹田さんが言った。「ここの風景は、オーストラリアのラグビースタジアムがあるところの風景に似ているよ。海から入ってくると、スタジアムの緑の芝生が見えるんだ。2019年、ワールドカップが日本である。釜石はラグビーの街だっただろう。ラガーマンがいっぱい来るから、頑張るんだ」 その言葉を聞いた瞬間、岩崎さんの頭に見たことがないオーストラリアの風景が広がり、震災前の美しい釜石の風景と一つに重なった。ずっと昔、旅館のお客さんから「海から入ってきたときに、緑に囲まれている美しい浜だよ、ここは」と声をかけられたことも思い出した。 「だったら、ここでやってけれ」 思わず、岩崎さんは笹田さんに声をかけた。釜石でのラグビーW杯開催が一つの夢となった瞬間だった。 2015年3月に釜石での開催が決まった後、「誘致をするには、ワールドカップを知らなくては」と考えて、同年9、10月にイングランドで開催されたラグビーW杯も見に行った。 8万人を収容するロンドン郊外のトゥイッケナム・スタジアムにも圧倒されたが、心に残ったのはキングスホルム・スタジアムがあるグロスターの街だった。小さな街で、でも温かくアットホームな雰囲気のスタジアムを見ていると、「釜石でもやれる」という気持ちになった。グロスターの市長の「みんなで作り上げたんだよ」という声にも励まされた。 帰国後も、岩崎さんは宝来館でラグビーW杯の時に世界中の人と乾杯するためにワインづくりをしたり、ラグビーの情報スペースを作って昔の新日鉄釜石の様子や新スタジアムの様子を知らせるなど、W杯の成功のために力を尽くした。