「青い鳥症候群」「シンデレラコンプレックス」…未熟で不安定な「モラトリアム期の青年」が陥りがちな「9つの症候群」
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】じつはこんなに高い…「うつ」になる「65歳以上の高齢者」の「衝撃の割合」 『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。 本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。
モラトリアム期のさまざまな症候群
青年期は未熟で不安定なため、成人期前期とは異なった精神保健上の問題があります。多くは青年期にありがちな自意識過剰や精神の脆弱性、繊細すぎる性格、強すぎる自尊心などが原因です。 これらは青年期以前の子ども時代から根を張ってきたものが多いので、問題が起きてからでは対応に苦慮します。厳しく指導すると、よけいに状況が悪化しますし、優しく寄り添うと、いつまでも甘えて状況が改善しません。 具体的には以下の通りです。 ●青い鳥症候群 いつか自分にふさわしい“青い鳥”が見つかるにちがいないと、現実に向き合わず、就職しなかったり、就職してもすぐに転職したりする状態です。 自分を高く評価しすぎているため、自分を認めない周囲や世間が不満で、「上司が悪い」「世間は何もわかっていない」等の不平を鳴らして現実に背を向けます。 私が敬愛する漫画家、水木しげる氏の短編「神変方丈記」(『ねずみ男の冒険』所収)には、童話「青い鳥」について次のようなセリフがあります。 「うん あの足もとに幸福があったとかいうアマイ話かい……あんなものを子供に読ますからあとになって世の中が分らなくなって苦労するんだ」 ●シンデレラコンプレックス 一九八一年にアメリカの作家、コレット・ダウリングが提唱したもので、シンデレラのようにいつか自分を幸せにしてくれる王子様が現れるという幻想にとらわれた女性が、現実に向き合えなくなる状態です。 「だれかに面倒をみてもらいたい」「だれかが自分の人生を変えてくれる」などの潜在的願望がある女性は、自主性や創造性を十分に発揮できず、理想の結婚相手が現れるのをじっと待っていたり、結婚しても夫に依存し、自ら自立を捨ててしまいがちです。それがシンデレラコンプレックス、あるいはシンデレラシンドロームと呼ばれるものです。 女性も自立が求められる現代では、厄介な問題で、自立するためには人に頼っていてはダメという厳しいメッセージの裏返しでもあります。 ●かぐや姫症候群 これも青年期の女性に見られるもので、自分を高く評価するあまり、男性に対して過度な要求を突きつける状態です。 かぐや姫は多くの高貴な殿方から求婚されますが、その度に高難度のプレゼントを要求し、いずれにも満足せずに、結局、育ててくれた老夫婦の恩も忘れて、月に帰ってしまいます。 この状態に陥りやすいのは、美人とか、高学歴とか、有名企業に就職しているなど、高スペックの女性です。自分はモテて当然という意識が態度に出てしまい、健全な交際に発展しません。 それに気づかず、自分はこんなに素晴らしいのに、なぜと悩むうちに心が満たされず、うつ状態になったりします。 ●ピーター・パン症候群 永遠に大人にならない少年ピーター・パンの物語にちなんだネーミングで、年齢的には大人なのに、中身が子どもの男性を指します。 大人社会の醜さ、事なかれ主義やご都合主義に反発して、純真な少年の心を維持しているのならいいのですが、ピーター・パン症候群の男性は、大人としての社会的責任や決断を回避していますから、決して好ましくはありません。 特徴は自己中心的、甘え、依存的、無責任、すぐに怒る、イヤなことから逃げる、うぬぼれ、自慢が好き、ほめられたくて仕方がない、話の中心になりたい、ちやほやされたい、子どもっぽい趣味に没頭するなどです。書いていて、自分のことではないかと恐ろしくなります。 「大人になっても少年の心を失わない」などという言葉は、以前はほめ言葉でしたが、ピーター・パン症候群を知ってしまうと、言われても喜ぶ気にはなれません。 ●ウェンディジレンマ ピーター・パンの物語に出てくるウェンディは、ピーターを好きなのに、恋人ではなく母親のような役割を担ってしまいます。小さい弟やネバーランドにいる子どもたちの面倒を見るだけでなく、気まぐれで子どもっぽいピーターのために、自分を二の次にして庇護的に振る舞うのです。 ウェンディはなぜ、自分の気持ちをストレートに言えないのか。それはピーターに嫌われるのが怖いからです。母親のようにしていれば、ピーターは機嫌がよく、自分への好意も示してくれます。だからウェンディも安心していられる。しかし、ほんとうの気持ちは、恋人として見てほしい。だけど言えない。これがウェンディジレンマで、恋人や夫に本心を打ち明けられないまま自分を抑えているうちに、精神のバランスを崩してしまいます。 これもシンデレラコンプレックスと同じく、女性の自立を阻む危険性をはらんでいます。女性が自立するためには、妻や母親として生きるのではなく、自分自身として生きるべきと言われるのですが、世の中にはジレンマに陥らず、妻や母親として生きることに満足を感じる女性もいるでしょうから、問題は複雑です。 ●スーパーウーマンシンドローム かつて女性は良妻賢母といわれるように、家庭内でよき妻、母親として男性に従属して生きることが幸せとされた時代があり、そのため多くの女性が忍耐と屈辱を強いられ、自立した個人として生きることを阻まれてきました。 その状況を改善するため、女性も社会に出て仕事を持ち、男性と対等な立場で生きられるよう世の中が徐々に変化して、まだまだ十分ではありませんが、女性も生き方を選べる時代になり、よき夫を持って仕事、家庭、子育てを両立させることも可能になってきました。 可能性があれば、そうなりたいと思うのが人情で、頑張って理想的な自分を実現しようとする人が増えることは、決して悪いことではありません。仕事で活躍して実績をあげ、夫とともに円満な家庭を築き、子育てもしっかりして、自立した人間として充実した人生を歩む。 メディアでもそういう女性が成功モデルとして賞賛され、新しい生き方、好ましい立ち位置、あるべき姿として喧伝されます。 しかし、現実はさまざまな困難、不都合、想定外の壁などがあって、なかなか理想通りにはいきません。 仕事も家庭も子育ても充実している女性は、いわばスーパーウーマンで、だれもがなれるわけではない特例です。それを目指して頑張りすぎることで、ストレスが募り、ついには心身のエネルギーを使い果たして燃え尽きてしまいます。 スーパーウーマンシンドロームが、別名「ウーマンズバーンアウト」と呼ばれる所以です。 ●触れ合い拒否症候群 青年期になれば、社会に出る前提として、必然的に他人と触れ合う機会が増えます。就活の情報交換や、就職して新社会人としての付き合いなど、集団の中にいると孤立してばかりはいられません。飲み会に参加したり、メールやLINEでコミュニケーションを取ったり、ネット上でのグループに参加することもあるでしょう。 しかし、それらは表面的な関係で、踏み込んだ人付き合いとはいえません。真剣な会話を交わしたり、長時間いっしょにいたり、深刻な相談をしたりすることを、無意識のうちに避けてしまう。それが触れ合い拒否症候群です。 他人との触れ合いは、深い人間関係となって共感や喜び、幸福や安心をもたらしてくれる反面、反発や怒り、屈辱や不快さを引き起こすリスクも伴います。深い関係にならなければ、喜びは少ないけれど傷つくこともありません。 そこで、子どものころから人付き合いが苦手だったり、コミュニケーションに自信がなかったり、過去に傷ついた経験などがあると、表面的な関係ですまそうとするのです。 他人と親密な関係になりたいと思っても、嫌われるのではないか、おかしな目で見られるのではないか、拒絶されて落ち込むのではないか等の恐怖が先に立って、人との関わりを避けてしまう場合もあります。 傷つきたくないという思いはだれにでもありますが、それを極端に恐れるのは、自己愛の裏返しとも考えられます。青年期は過敏なので、傷つく危険性も高いのですが、大人になって経験を積めば、よい意味で図太くなって、少々のことでは傷つかなくなります。 それを知らずに人との触れ合いを避け続けていると、いつまでもか細い神経のままで、生きづらさが増します。その状態を脱するためには、少しくらいは傷ついてもいいというある種の開き直りがいいのかもしれません。 ●アパシーシンドローム 成人期前期でも紹介しましたが、青年期の無気力症候群は、男子大学生に多いのが特徴です。高学歴で思考力はあるけれど、それがネガティブな方向に働いて、管理社会に対する絶望や拒否、成熟や自立に対する不安、生きる意味に対する虚無感などから、無気力、無関心、無感動に支配され、無為に陥ってしまう状態です。 特徴としては、感情の起伏が乏しい、意欲や行動力に欠ける、何をやっても楽しくない、情熱を傾ける対象がない、仕事や人生に意味を見出せないなどがあります。 陥りやすいのは、まじめ、几帳面、理想と現実のギャップを受け入れられない、過去に一番の成績を取ったなどの栄光体験がある、他者との競争を過剰に意識する、負けると激しく落ち込む、主体性がない、視野が狭い、物事を考えすぎるなどのタイプです。 無気力になって虚無主義に走っても、いいことは何もありませんが、アパシーシンドロームに陥ると改善さえ求めないので、無為に安住してしまいます。人生に意味などないと決めつけるのは、高慢で未熟な人間のすることですが、アパシーシンドロームの人は、そのことに快感(何かに一生懸命になっている人がバカに見える)を覚えていることに気づいていません。 もともと人生に意味などなく、意味を求めることさえ意味がないことを知れば、無為に浸ることのバカバカしさに気づいて、少しは気力が湧くでしょう。 ●リストカッティングシンドローム 以上の精神保健上の問題の多くは、おとぎ話や童話にちなんだ名称がついていることからもわかる通り、未熟さや甘えがベースで、こじらせると厄介ですが、さほど深刻な状況には至らないことがほとんどです。 しかし、このリストカッティングシンドロームは、自殺や人格障害の危険も伴うので、早期に専門家による治療が必要です。 リストカットは自傷行為の一種で、手首の皮膚を刃物で切ることを指します。手首だけでなく、腕や手のひら、手の甲や指、太ももやふくらはぎ、足首を切ることもあります。刃物で切るだけでなく、煙草の火を押しつける自傷行為も含まれます。 私の講義を受けていたある女子学生が、煙草の火傷痕を消したいと相談に来たことがあります。見せてもらうと、両腕と胸の上部に多数の瘢痕がありました。 煙草を押しつけたのは、中学時代に親と兄がもめていて、それがつらくて自室でやったとのことでした。今は立ち直っているので、痕を消したいとのことでしたが、医療保険の適用にはならないので、全部消すとなると三百万円ほどになると病院で言われたそうです。「何とかなりませんか」と言われましたが、どうすることもできません。幸い、火傷痕は服に隠れる部分だったので、「しばらくは人に見られないようにします」と言って帰っていきましたが、かわいそうでした。 自傷行為は周囲の目を惹こうとしてする等の誤解があるようですが、ほとんどの場合、自傷行為は隠れて行い、多くは行為を周囲に告げることもありません。 なぜ痛みを伴う行為に走るかというと、それ以上のつらさがあるためで、経験者は「切るとほっとする」とか「気分が落ち着く」とか言います。自分を傷つけることで楽になるため、繰り返されるのです。 当然、健全な状態とは言えず、自傷の程度がエスカレートし、最終的には重度のうつ病や人格障害、自殺に至ることもあるので、早期の治療が必要です。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)