映画「キングダム」にも登場 秦王・嬴政の政治的ライバルとして“悪役的”に描かれる「呂不韋」が残した“偉大過ぎる功績”とは
山﨑賢人が主演の「キングダム 大将軍の帰還」の評判がいい。そんなキングダムの世界を語る上で、最も重要なキャラクターの1人が「呂不韋」だ。嬴政(えいせい)率いる大王陣営が、国内の権力を手中におさめるまで、最大の政治的ライバルとして描かれる呂不韋は、史実ではどのように扱われているのか。映画「キングダム」シリーズの中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸の著作『始皇帝の戦争と将軍たち ――秦の中華統一を支えた近臣集団』(朝日新書)より、一部を抜粋して解説する。 【写真を見る】目力がすごい! 山民族の王「楊端和」を演じるのは日本を代表する実力派女優 (前後編の前編) ***
「史記」には嬴政の父親との記述も
戦国時代の韓の陽翟あるいは魏の濮陽の出身の大商人呂不韋が、趙の都・邯鄲で秦の太子安国君(孝文王)の子の子楚と出会ったときから、まだ生まれぬ始皇帝嬴政(えいせい)の歴史が始まったといえる。 歴史は偶然の積み重ねであれば(そもそも必然の歴史などないが)、安国君が昭王の太子となったのも悼太子(とうたいし)が質子(ちし)として魏で偶然亡くなったからであり、質子として邯鄲に出されていた子楚が、安国君の二十余人の子のなかから後継となったのも、なるはずもない偶然であった。 子楚の実母は安国君の夏姫(かき)であるが、呂不韋は安国君の正夫人である華陽夫人に子がいなかったことから、商人としての才覚から千金の財を費やして画策し、子楚を安国君の嫡嗣(ちゃくし=太子が王になったら太子となる)となる約束を取り付けた。 一方、呂不韋のもとですでに身ごもっていた邯鄲の愛姫を子楚が見初めて夫人とした。愛姫は趙の豪家の女(むすめ)であり、名前は残っていない。愛姫が子楚の夫人となってから生まれたのが嬴政であり、竹簡文書の『趙正書』の発見から姓名は趙正に修正できる。 『史記』呂不韋列伝では嬴政は呂不韋の子であり、『史記』秦始皇本紀では荘襄王子楚の子であるとして食い違う。前者は、始皇帝が秦王室の系統からはずれて東方の商人の子であるという、一種の反始皇帝伝説として理解できる。ともかくも呂不韋と子楚と愛姫の邯鄲での偶然の出会いから嬴政、のちの始皇帝が誕生した。