「当時の自分は異常だった」「でも、恋愛や就職を諦められず…」17年間“引きこもり”だった50歳男性が、大学に入学して社会復帰を果たすまで
38歳で通信制の高校に通い、41歳で大学に入学
――そこから、資格や免許の取得をされたそうですね。 糸井 そうです、社会的信用を得るために。最初に、就職したら車で職場に通えるように自動車免許を取得して。そのあと、国家資格の電気工事士2種を取得しました。 福祉作業所に2年半通ったあと、34歳のときに豆腐店に就職して。その後、39歳から約9年間、郵便局で働きました。
――その間、学歴をつけるために38歳で通信制の高校に通い、その後、佛教大学に入学されたそうですね。 糸井 通信制の京都美山高校を卒業して、41歳で佛教大学の社会福祉学部に入学しました。 ――なぜ社会福祉学部に? 糸井 福祉を学んで障がいに対する知識をつければ、自分で自分を支援できるというか、もっと自分をコントロールできると思ったんです。 それと、障がい当事者だからこそ、障がいのことをもっと知って、語れるようになろうとも思いましたね。
「自分が行動的になっていった」大学生活を経験したことによる“変化”
――7年半かけて大学を卒業されたそうですが、大学に行ったことでご自身の中でどのような変化がありましたか? 糸井 大学のスクーリング(対面授業)には、いろいろな職歴、年齢、地域の人が参加していたのですが、それ以外は全部自学自習だったんです。だからテキストを読んで、レポートを書いて、試験を受けるのをひとりで繰り返していました。 クラブ活動をしていたわけでもなく、友達もいなかったから、大学生らしい大学生活じゃなかったけど、コツコツ目の前のことに取り組むことで、自分が行動的になっていった気がします。 ――ご自身の変化を実感することはありました? 糸井 当時は大学に通いながら郵便局に勤務していたのですが、集荷をするために1日に100キロ以上、車で走っていたんですよ。そのときに、大学の勉強と同じように、仕事にもコツコツ取り組めるようになったなと感じました。
現在は、福祉施設の支援員として働いている
――現在は、社会福祉法人恩鳥福祉会が運営する福祉施設「ポプラの家」で働かれているそうで。 糸井 生活支援員として、利用者の方々の生活を介助したり、作業を支援したりしています。 ――作業を支援。 糸井 例えば、知的障がいを持つ方が絵を描く際に、その作業をお手伝いさせていただいたり。最初は落書きのような感じで絵に見えないんですけど、私がそれを色分けして塗ったら、宇宙船に見えたり、人に見えたりするんです。 そうやって、利用者の方々の可能性を広げられるように作業を支援しています。
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