「当時の自分は異常だった」「でも、恋愛や就職を諦められず…」17年間“引きこもり”だった50歳男性が、大学に入学して社会復帰を果たすまで
「気分が軽くなって、すっきりした」閉鎖病棟から出るために頑張った結果
――閉鎖病棟から出るために、まずは見た目から変わろうとした。 糸井 そうです。髪の毛以外にも、三食きちんと食事をして体重も増やしました。 開放病棟に移してもらえれば、病院内を自由に移動できたり、絵を描いたり、料理をしたりする「ソーシャルスキルトレーニング」というレクリエーションを受けられるのも知って、なおさら閉鎖病棟から出るために頑張ろうと思いました。
――髪の毛を切り、容姿を整えたことで、メンタル的な変化はありましたか? 糸井 気分が軽くなって、すっきりしましたね。それまでは、自分の姿を鏡で見るのが苦痛で不快だったんです。でも容姿が整ったことで、鏡を見たときの不快感が少し軽くなった気がしました。 ――その後、閉鎖病棟から開放病棟へ移ったのですか。 糸井 すぐにではないけれど、開放病棟に行くことができました。自分が変わったことで閉鎖病棟から出してもらえたのが、自分の中で成功体験になったし、自信にもつながりましたね。 ――精神科病院には、どれくらい入院していたのでしょうか。 糸井 数か月はいました。5月に強制措置入院になって、年末には実家に戻って。
引きこもり生活から抜け出し…就職も恋愛も諦められなかったワケ
――そこからは、どのように過ごしていたのですか。 糸井 通院と服薬をしながら福祉作業所に通って、工賃をもらいながら紙の弁当箱を作ったりしていました。その作業をしないと、また閉鎖病棟に入院することになると医師から言われていて。 精神障がいを受け入れて外に出たら希望が持てると思ってましたけど、常に管理・監視される生活だったので、それに対する劣等感はありました。 ――福祉作業所に通うことへの抵抗感があった? 糸井 そうですね。50歳や60歳まで通い続けるのは嫌だなって。 私は引きこもり生活から抜け出した以上、就職も恋愛も諦められなかった。諦めたら、引きこもっていたときと同じように、自分で鎧をかぶって、自分を貶めることになるんじゃないかと。だから、福祉作業所を出るためにどうすればいいか考えるようになりました。
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