2度目のパラリンピックは「進化する“テコンドー道”の発表の場」。支援業務から選手に異色の転身、パラテコンドー 田中光哉
スポーツの力で“障害のイメージ”を超える!
障害者スポーツに関わり、そして自身でパラテコンドーを始めてわかったことがあるという。 「障害とは、周りは障害っていうけれど、本人にとっては障害とだけでは言い表せない“何か”なんです。“乗り越える”ものではなく“つき合う”ものだったんです」 周りが抱いているイメージの結集が障害なら、スポーツでそのイメージを超えられる可能性を表現できると気づいた。 「パラリンピックはそれを表現する大舞台だと思いました。テコンドーの魅力は華麗な足技とか言われますが、パラテコンドーはオリ競技と違って頭部への上段蹴りがないんですよ。だから胴体を蹴りまくるんです。足のぶつけ合い。やらないとやられる。格闘技ですね。怖いんですけど、その怖さと緊張感がすごく楽しかったですね。のめりこみました」
東京パラ後に知った、武道としてのテコンドーの魅力
そして着実に力をつけ、東京パラリンピック初出場を果たした。結果は61kg級9位の成績だった。「もう全然足の感覚もないぐらいフワフワした中でやってました。勝ちたいという気持ちが強すぎて、自分のスタイルが崩れました…」 その後、佐賀市の「Hama House」に移籍し、指導や競技サポートを受ける様になった。「Hama House」は、日本テコンドー界に濱田三兄弟ありと言われる、全日本選手権10回優勝の長男・濱田康弘が代表を務め、五輪3大会に出場している真由氏(2022年に引退)、三兄弟の一番下にあたる一誓氏がコーチを務める。 「これまでの韓国式のパワーとスピードを重視したものから、独特のスピード感と間合いを取り入れられました」 2年かけてスタイルを大きく変えたという。 「ああ、テコンドーって、まだまだこんなにいろんなやり方で強くなれるんだな」と、奥深さを感じた。「とてもパリまでの半年間で習得できるものではない。やっぱり武道はすごい。どこまでも追求できる競技なんだなって気づいたのはここ数年ですね。そこからまた面白くて」 魅力を再認識した、次のフェーズの始まりだった。 佐賀に移った理由はもう1つある。九州大学大学院に通うためだ。 「いま修士2年生です。『健常者スポーツをやっていた先天性身体障害者がパラスポーツに関わるときの心理的な変化』をテーマに学んでいます」 自身が障害を受け入れられずに悩んだ経験を、今後パラスポーツを広めるのに役立てたいという。