「秦王政を討て!」のちの始皇帝を襲った、刺客・荊軻の恐るべき暗殺計画
地図に隠された匕首(あいくち)
荊軻に託された使命は秦王政の暗殺である。政を油断させ、近づくために2つの手土産が用意された。ひとつは燕の督亢(とくこう)という土地の地図、もう一つは秦から亡命してきた樊於期(はんおき)の首である。樊於期は荊軻から事情を説明されると、快く首を提供してくれた。 武器には、徐夫人の匕首に毒を塗った、かすり傷だけでも相手を殺すことができる、鋭利な刃物が用意された。残る問題は、相方だったが、荊軻が希望する人物は遠方にいて、到着が遅れていた。荊軻はあくまで待ちたかったが、丹がせかせるので、やむなく丹が推薦した秦舞陽(しんぶよう)という男を連れていくことにした。少年時代から何人も殺めてきたという殺人の常習者だった。 秦の王宮に入ると、荊軻は樊於期の首をいれた箱を、秦舞陽は地図を納めた箱を捧げ、政の前へと進み出た。玉座の近くまでくると、秦舞陽は顔色が変わり、全身がぶるぶると震えて歩けなくなってしまった。居並ぶ臣下が怪しんだ。荊軻は咄嗟の機転を働かせ、ふりむいて秦舞陽のさまを笑い、前に出て謝罪した。 「この者は北方の辺境出身の田舎者、大王様に拝謁するのははじめてなので、緊張のあまり震えております。どうか寛大なお心で、使者の役目を果たさせてください」 そこで秦王政は、荊軻に、「地図をこれへもて」と命じた。荊軻が巻物状になった地図をさしだす。政がそれを広げていくと、最後に匕首があらわれた。荊軻は左手で政の袖をつかみ、右手で匕首を握って、「えいっ」と突き刺す。 だが、わずかに届かない。政が驚いて身を引き、立ち上がると、袖が千切れた。政は剣を抜こうとしたが、慌てていたのと、剣が長すぎるのとで、抜くことができない。政は鞘を持ったまま、柱のあいだを逃げまわった。 群臣はみな動顚して、どうしていいかわからないでいた。秦の法では、臣下が御殿の上にあがるときは寸鉄の武器も持ってはならない。郎中たちは武器を持ってはいるが、王からお召しがないかぎり、上にあがることはできない決まりだった。事態は急を告げ、外にいる兵士たちを呼んでいる場合ではない。ゆえに荊軻はひたすら政を追いかけつづけた。 殿上の臣下のなかには、素手で殴りかかる者がいたが、荊軻の敵ではなかった。荊軻はいまにも政に追いつきそうになった。そのとき侍医の夏無且(かむしょ)が薬の袋を荊軻めがけて投げつけた。荊軻が一瞬それに気をとられた隙に、政は距離をあける。ここで側近の一人が呼び掛けた。 「王様、剣を背負いなさいませ」 政は剣を背中にまわし、ようやく鞘から抜くと、荊軻に一刀を浴びせ、左太ももを切り裂いた。動きの不自由になった荊軻は、匕首をぐっと引き、狙いを定めて投げつけた。しかし、匕首は政にはあたらず、銅の柱に突き刺さった。政はなおも荊軻に斬りつけ、8カ所の傷を負わせた。荊軻は失敗に終わったと悟り、柱によりかかり、笑いながら言った。 「事がならなかったのは、おまえを生きたまま捕らえて約束を引き出し、太子様に報告しようとしたからだ」 政は左右の者に命じて、荊軻にとどめを刺させた。 この事件は政をいたく怒らせた。政は前線の軍を増強して、燕の国を火のように攻め立てさせた。そのため10カ月後には、燕の都は陥落した。燕の王は遼東(りょうよう)へ逃れ、そこから丹の首を送って謝罪したが、政は許さず、攻撃の手を緩めなかった。
島崎晋(歴史作家)