<ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に>/60 未来へつなぐ「鎖」
ドナルド・キーンさんの最晩年に当たる2015年ごろから19年にかけての日本では、安倍政権が保守政治を進め、天皇が近代では初めて譲位を表明するなど、いくつもの大きな動きがあった。ことあるたびに私はキーンさんのもとへ通い、インタビューを重ねた。その中から、日本語で語られた印象深い言葉を、連載の最後に紹介したい。常に時代の流れをとらえて発言する人だった。 戦後70年についてはこう語った。 <マッカーサー元帥は変わった人でしたが、滞在中は一歩も東京を離れず、どうやって日本を平和な国にし、発展させてゆくかを考えていました。その結果が日本国憲法です。憲法の制定そのものに私はかかわっていませんが、例えば憲法に「男女平等」を盛り込むよう提案した日本育ちのベアテ・シロタ・ゴードンさんはよく知っています。日本人の考えも反映しながら憲法はできたのです。決して連合国が一方的に押し付けたわけではありません。(中略)中でも「戦争放棄」を掲げた9条は、戦争は二度としないぞという世界の人々の願いが込められた理想的なものでした。最近、憲法改正や解釈変更が進んでいますが、どうして70年もたった今、そうしたことをしなければならないのか、私にはまったく理解ができません。「憲法9条は世界の宝」です。日本人は忘れないでほしい。> (2015年8月14日毎日新聞朝刊「論点」から) 82歳となった当時の天皇陛下(現在の上皇さま)が生前退位の意向を表明した時は、こう述べた。 <現在の天皇陛下は積極的に国内外各地の行事に、さらには戦没者慰霊の旅にでかけ、多くの人たちと言葉を交わしてきた。とりわけ東日本大震災などの被災地を訪れ、ひざをつき合わせて被災者と語りあう姿には、多くの国民が感動したことだろう。明らかに日本の歴史で天皇の意味が変わった、と言っていいだろう。 (中略) 天皇は有史以来、日本をまとめる上で中心的な存在となってきた。太平洋戦争があったため、天皇制への異論がないわけでもないだろうが、私は平和な思いを持つ天皇がいる日本は得だと思っている。例えばアメリカの国家元首である大統領は常に政治的な闘争を経て選ばれるという宿命を負わざるをえない。こうした負担もなく、国家の象徴として天皇がいる日本は非常に恵まれた環境だ。日本人は幸せだと思う。> (2016年7月15日毎日新聞朝刊「論点」から) 20年に予定されていた東京夏季五輪を前に、政府が日本文化を世界へ発信しようと取り組んでいた「クールジャパン」について聞いた時の言葉はこうだ。 <外国人だけでなく、最近の若い人の中にも文楽を見たことがない人が多いようだ。まずは近松の「曽根崎心中」を見てもらいたい。世話物(せわもの)には今も昔も変わらない日本人の人間味があふれている。国文学を学ぶ学生が減っているが、文楽や歌舞伎などを通じて、西洋芸術に劣ることのない日本の伝統文化の魅力や日本文化の最大の特徴である自然との関わりも知ることができる。 (中略) 最近の日本語の乱れを危惧している。特にカタカナのはんらんは何とかならないものか。外国語を表現する安易な言葉となってしまい、英語の発音もすべてカタカナ。これではいくら若い年齢で英語を始めても、きちんとした発音が身に着くはずがない。新聞の見出しも分かりにくいものが増えてきた。美しい日本語を見つめ直す時期が来ている。> (2018年1月10日毎日新聞朝刊「論点」から) 18年になると少しずつ衰弱した姿がうかがえるようになり、秋から入退院を繰り返した。そして19年2月24日早朝、東京・上野の病院で96歳の人生の幕を閉じた。いまは東京都北区の自宅近くの無量寺に眠っている。 日本の新聞に連載した最後の自伝(原文は英文)のあとがき(2006年12月)は、こう締めている。 The most important of the "chains" in my life has been the one that binds me to Japan. For some years, especially when anti-Americanism was at its height in Japan, I worried that something might break the chain, that I would not be able to return. Fortunately, this did not happen. On the contrary, regardless of the plethora of anti-American writings, I have always been treated with great kindness, and not only by friends. Nowhere else would I have been given the opportunity to relate the events of my life in a newspaper that is read in every part of the country. [Chronicles of My Life: An American in the Heart of Japan] キーンさんがつないだ「鎖」は、亡くなって5年が過ぎた今も、さびることなく、色あせることなく、しっかりと人々をつないでいる。それは日本だけでなく、「私は日本文化の伝道師になりたい」という熱い思いのままに、世界へと、未来へと、広がっている。 =終わり。次回7月2日に「番外編」をアップ予定 ◇ 日本文学者のドナルド・キーンさん(1922年生まれ)は、18歳の時に「The Tale of Genji(源氏物語)」と出会い、96歳で亡くなるまで、日本の文学や文化の魅力を伝えることに没頭し、膨大な研究成果を発表し続けた。日本の「大恩人」はどんな時代を生き、私たちに何を伝え、未来に何を残そうとしたのか。本人の英文や、2022年4月に創刊100年を迎えた英字「The Mainichi」の紙面とともに、この1世紀の時空を旅する。 (文・森忠彦=毎日新聞記者、ドナルド・キーン記念財団理事。キーンさんの原文は同財団から掲載の許可を得ています。財団HP=https://www.donaldkeene.org/) ◇ Donald Keene(ドナルド・キーン) 1922年6月18日、米ニューヨーク市ブルックリン地区生まれ。日本文学研究者。コロンビア大学名誉教授。コロンビア大学大学院、ケンブリッジ大学研究員を経て53年から京都大学大学院に留学。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などの文人と交流した。半世紀以上にわたって日米を行き来しながら、日本の文学、文化の研究を続け、その魅力を英文で世界へと発信した。2008年には文化勲章を受章。11年の東日本大震災の直後に、日本国籍を取得。雅号は「鬼怒鳴門」。2019年2月24日、96歳で永眠。主な著書に「日本文学の歴史」「百代の過客」「Emperor of Japan: Meiji and His World, 1852-1912」(邦訳「明治天皇」)など。