「君!出て行きたまえ」…謹厳な雰囲気の「聖書集会」で東大医学部生だった夫と私を出会わせたのは「奉仕作業」だった
第一印象
「独立新聞」は、矢内原忠雄を顧問に、無教会主義のキリスト者数名が発行していた新聞だ。メンバーが徐々に減り、当時はOさんという方がひとりで編集から発送までをこなしていた。そのOさん宅で発送作業を手伝うのが、私と晋の仕事だった。といっても、たいして難しい仕事ではない。あらかじめ各自が封筒に宛名書きをしておく。それを持ち寄って、新聞を折って封入する。ただそれだけである。 集まって作業するのは、月に一度だ。晋と私は、高橋集会のあとに桜新町行きのバスに乗ってOさん宅へうかがい、手伝いに励んだ。昼過ぎから始めれば夕方には終わった。 Oさん、晋、そして私の3人とも口数が多いほうではなく、会話といっても集会の感想を述べ合う程度である。 晋は、控えめで遠慮がちな青年だった。いつも同じブレザーを着て、洒落っ気は皆無。東大生と聞いてちょっと距離を感じたが、本人はそれを鼻にかけるふうもない。何を尋ねても親切に教えてくれる。単調な作業を黙々と真面目に続ける姿には、尊敬すら覚えた。 結局私は、大学を卒業するまでの1年半、この発送作業を手伝うことになる。卒業後は田舎に帰って教師になるつもりだったが、そうなると集会に出るのは難しい。私が高橋集会に出席する最後の日、晋が話しかけてきた。 「これから集会はどうしますか?」 「先生が集会のテープを送ってくれるそうです」 「そうですか。じゃあ僕は集会の様子を手紙で知らせましょう」 高橋先生は、国内外にいる信仰の仲間に礼拝のテープを巡回させておられたのだ。そこに私も加えてもらうことになっていたが、晋の思いがけない言葉は嬉しかった。 『神様の御計画と信じて…偶然の連鎖が紡ぎだした「キリスト教徒同士」の“運命的な結婚”』へ続く
若井 克子