「君!出て行きたまえ」…謹厳な雰囲気の「聖書集会」で東大医学部生だった夫と私を出会わせたのは「奉仕作業」だった
定年前の50代で「アルツハイマー病」にかかった東大教授・若井晋(元脳外科医)。過酷な運命に見舞われ苦悩する彼に寄り添いつつ共に人生を歩んだのが、晋の妻であり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子だった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 2人はどのように出会い、結ばれ、生活を築いてきたのか。晋が認知症を発症する以前に夫婦が歩んできた波乱万丈の「旅路」を、著書から抜粋してお届けする。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第42回 『『東大教授、若年性アルツハイマーになる』著者はいかにして夫と出会ったか…共通点のない2人を結び付けた「神の導き」とは』より続く
高橋聖書集会
高橋集会――正確には「高橋聖書集会」は、無教会派クリスチャンで経済学者でもある矢内原忠雄の教えを受けた、故・高橋三郎先生が主宰していた日曜礼拝だ。毎週日曜の朝10時から正午まで、目黒区の「商連会館」で開かれていた。定刻になると100名近い人が集まる。私は翌日に大切な試験を控えていても、この集会にだけは欠かさず出席した。 集会の流れはだいたい、こんな感じだ。まずは司会者のリードに従って、全員で讃美歌を歌う。そして聖書朗読、開会の祈祷が終わると高橋先生が12時近くまで講話を行う。連続講義のように、毎回聖書からひとつの章を選んで学びを深めていく形式だった。 その後、再び全員で讃美歌を歌い、先生のお祈りで終了。ここで帰る人もいるが、午後も残ってグループにわかれ、いわゆる「在日」への差別や政治家の靖国参拝など、社会問題について討論する参加者もいた。また、月に一度、高橋先生の指導のもと希望者が読書会を行っていた。 私が参加していた当時は、教会史やディートリッヒ・ボンヘッファー(ナチスへの抵抗運動に関わって処刑された神学者)の本などを読んでいた。高橋先生は謹厳な方で、集会では咳ひとつしないで真剣に聞く態度が求められた。 ある時など、先生が壇上から、 「君!出て行きたまえ」と、居眠りしていた人を叱責したこともあった。 時間にも厳しく、だらだら長く話すことを極端に嫌われた。自己紹介の時も決められた時間をオーバーすると「はい、そこまで」と強制終了だ。時間制限こそなかったが、司会者のお祈りも同様で、先生は長くなるのを好まない。 「他人の大切な時間を奪ってはならない」というお考えからだった。 だから、所用で先生にお電話するときなどは大変だ。長電話にならないよう、用件を箇条書きにしてから受話器を取るのが常だった。 私が参加し始めて、2ヵ月ほどたった頃のこと。礼拝後に高橋先生が、誰か「独立新聞」の発送作業を手伝ってくれないか、と呼びかけておられた。何か手伝いたい気持ちに駆られて手をあげたが、私のほかにもうひとり、手伝いを申し出た男性がいた。 それが晋だった。