【インタビュー】マラッカ海峡協議会会長・池田潤一郎氏、マラッカ・シンガポール海峡の航行安全を支える日本の取り組み
■点検で技術協力も ――マ・シ海峡の国際法上の位置付けはどうなっているのか。 「マ・シ海峡はマレーシア、インドネシア、シンガポールの3カ国を沿岸国とする国際海峡という定義が一般的かもしれない。ただ、国際海峡とすんなり認められるまでは紆余(うよ)曲折があったと聞く。当初、沿岸3カ国はマ・シ海峡の国際海峡化に反対し、自由航行を確保したい先進国など海運国と意見が相違したこともあったようだ」 「その後、1994年に国際的な海洋秩序を定める国連海洋法条約が発効し、同条約43条でマ・シ海峡を含む国際海峡における利用国と沿岸国の合意による協力が定められた経緯がある。さらに08年にマ・シ海峡における灯浮標(ブイ)や航行援助施設整備・管理に関する費用の分担を含めた協力メカニズムが成立。世界で最も混雑する海峡を国際的にも維持できる体制は整えられている」 「当協会は同海峡の航行援助施設基金に毎年、資金を拠出しているほか、これら施設に対する業務監査法人にも指定されている。業務監査の内容は、沿岸国が行うブイや灯台、灯標など航行援助施設に対する点検に同行し、適切に維持管理されているか確認すること。また、こうした点検に関する技術協力も行っている」 「他の地域を見ても、複数の沿岸国が関わる形でこれだけしっかりした国際海峡としての協力メカニズムが合意・機能しているのはマ・シ海峡だけではないか。その意味では、日本と当協会が果たす役割は非常に大きいと思う」
――そもそもマ協が設立された経緯は。 「当協議会が設立されたのは69年。当時はタンカーの大型化が進む一方、67年に英国沖でタンカーが座礁して大量の油濁事故(トリー・キャニオン号事件)を起こすなど、海難事故への警戒感が高まっていた。マ・シ海峡で民間商船が本格的に通航するようになったのは60年代からだ」 「海上交通路の要衝にもかかわらず、精度の高い海図がない非常に危険なエリア。その海峡を最も航行しているのが日本関係船で、日本にとっても中東からの石油輸入のチョークポイントとして極めて重要な海峡という認識だった。そのため、海運業界として日本政府に同海峡での海図作成や安全航行のための支援を行うよう要請したのがきっかけとなった」 「ただ、当時は第2次世界大戦での警戒感などもあり、まだ沿岸3カ国は日本政府が直接関与することに難色を示していた。そのため、民間資金を活用しつつも、準日本政府的な地位を持ち、軍事・営利を一切排除しつつ、沿岸3カ国の調整役と海峡の安全航行を維持する公益法人として69年3月にマラッカ海峡協議会が発足した」 「業務としては先に述べたように、ブイや灯台など航行援助施設の整備と更新・維持管理をするための資金協力や点検、技術協力、そして水路測量などがある。マ・シ海峡は行き交う船舶の航路を分離する分離通航帯(TSS)を設定しているが、そのための航行援助施設51基のうち30基は日本財団の支援により当協会が整備・寄贈したものだ」