尊厳を破壊するイランの「白い拷問」を生き延びた女性が暴露する、「独裁国家」イランの「失敗」
女性特有の打たれ強さ
尋問下では、このありふれたケアの精神こそ、女性の内なる責任感を呼び起こします。すると女性は自分自身を、そして気持ちや状況が自分に近い人間をケアします。独裁者が支配する不平等な世界で、人々は従うか支配されるか、どちらかしかありません。尋問官は極端に不平等で不公平な状況を作り出しますが、女性は普段から様々な不平等に傷ついているので、日々の経験を足がかりに、抵抗のレベルを一段上げることができます。 女性は獄中で、自分が家族と思っている人々のケアをします。それは自分が「強い」ことを証明したいからではなく、尋問室の椅子に座ることを余儀なくされている瞬間にも、仲間が心配だからです。 一般的な拷問文学では、「強い意志」が賞賛されますが、私に言わせれば、あれは男性文学の「失敗」です。男性の拷問文学では、主人公はいかなる状況にも弱音を吐かないヒーローで、そんな彼を虐めるもうひとりの男――支配者――は大悪党です。悪者をより悪く見せるために、尋問を受けている主人公のリアルで人間的な苦しみや迷いは描かれません。ヒーローは、ほんの一瞬でも「強くない」ことを悪者に知られてはいけないのですから! 獄中や尋問について書かれた女性文学は、ロスタム(ペルシャの叙事詩に登場する偉大な英雄)のようなヒーローを求めていません。不平等で残酷な尋問で経験する苦しみを、否定したり美化したりしません。そうではなく、自由に生きたいという渇望が、彼女の苦しみを軽減し、生き続けようという力になっている様を描きます。私は平等主義を信じるすべての男性、女性に敬意を表しますが、男性活動家の受ける尋問は女性の場合とは異なり、尋問と拘禁の経験さえ女性のそれとは違っていると思います。その違いを生み出しているのはジェンダーに他なりません。 男性優位の社会で、そしてその結果として構築されたヒエラルキーのなかで、男性は優位性を求めます。そしてひとたびヒエラルキーからこぼれ落ちると、権威が揺らいで失墜してしまうため、打たれ弱いのです。傷つきやすく、か弱い存在に転落します。しかし女性はそもそも虐げられた環境に置かれ、抵抗することで、そして不服従で、自分の存在を主張してきました。 同じことが刑務所でも言えます。尋問室に女性が座っている、それだけで既に勝利なのです。女性の経験に根ざして、私たちは2つの言葉と2つの声を持つ人間を決して信頼しません。 翻訳:星薫子
ナルゲス・モハンマディ(イラン・イスラム共和国の人権活動家・ノーベル平和賞受賞者)