「釣りキチ三平」矢口高雄が鳴らす現代社会への警鐘 “マタギ”の歴史や風習を調べ尽くした不朽の名作は現役猟師の「バイブル」に
この漫画にハマって釣りを始めた友だちが、子どもの頃にいなかったでしょうか。代表作の一つ「釣りキチ三平」を描いた漫画家の矢口高雄さん(1939~2020)。矢口さんの作品は現代を生きる私たちに変わらぬ強いメッセージを残しています。朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週は矢口さんの原点に迫ります。 【写真】秋田空港に設置された「釣りキチ三平」のレリーフの前で笑顔の矢口さん(2016年)
自然破壊が進んだ現代社会への警鐘
ふるさとの自然にこだわり、人々の暮らしにこだわった。山のにおい、川のにおいが伝わってきた。 公害都市の神奈川県川崎市川崎区に生まれ育った私は、子どもの頃から矢口高雄さんの漫画「釣りキチ三平」(1973~1983年)を夢中になって読んだ。「週刊少年マガジン」に掲載され、矢口さんにとっては代表作となる。 公害が社会問題化し、高度経済成長のひずみが語られたころである。麦藁帽子に藁草履で釣りに熱中する三平少年は「このまま行ったらこの日本は人間の住めない国になる」と訴えていた。 たしかに、我がふるさと川崎の空は光化学スモッグで覆われ、多摩川の流域は汚染水であふれていた。70年代は「ノストラダムスの大予言」が大ヒットした時代だ。人類は1999年7の月に滅びるという予言が真摯に受け止められていた。 そういえば、東宝の怪獣映画に「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)があった。ヘドロでできた怪獣ヘドラは相当なリアリティーがあった。矢口さんのヒット漫画「幻の怪蛇バチヘビ」(1973年)も、未確認生物(UMA)ツチノコブームの火付け役となった。 いずれにしても、あのころの矢口漫画の根底には、自然破壊が進んでしまった現代社会への警鐘の思いがあった。 そんな矢口さんの原点を探りたい。私は2016年冬と18年夏、ほぼ1カ月かけて秋田県内を回った。山の奥深くに分け入り、クマやカモシカなどの狩猟を生業としたマタギの取材が主だった。 「ホリャー、ホリャー」 獲物を追う勢子(せこ)の声が聞こえてきた。「ムカイマッテ」と呼ばれる見張り役の合図を受けて「ブッパ(射手)」が銃を放つ。「ショーブ(勝負)、ショーブ」。仕留めたことを仲間たちに伝える合言葉が雪深い東北の山に響く。 独特の装束や習俗、信仰……。時代の流れとともに失われてしまった儀式を、矢口さんは漫画に描いた。 起源は1000年以上前ともいわれ、秘伝の巻物も残るマタギ。江戸時代後期の紀行家・菅江真澄(1754~1829)は、そのルーツについて「マダ(シナノキ)の樹皮をはぐために入山したから」との説を唱えたが、主な獲物はクマなどの大型獣だったはずだ。矢口さんの「マタギ」(1975~1976年)や「マタギ列伝」(1972~1974年)は、それを生業とするマタギの「聖地」として知られる秋田中央部の阿仁地区に暮らす男たち(現在は三十数人)にとって「バイブル」のように扱われていた。いまなぜ矢口さんの作品が注目されているのだろう。 「街ではジビエがはやり、田舎は獣害に苦しむ現代。狩猟の必要性が叫ばれるこの時代にこそ、読み返したい。猟師の源流がここにある」 そう力説するのは猟師である千松信也さんある。 まず私が18年夏に訪ねたのは、阿仁地区にあり、実際の狩猟道具などを展示するマタギ資料館。統率者「シカリ」のもとで結束し、山の神からの授かり物として獲物を公平に分配するマタギのオキテがよくわかる。館内には、温泉施設「打当(うっとう)温泉」が併設。「よぐ温まる」と地元でも評判の塩化温泉だが、たしかに源泉は56・6度もあるという。ざぶんとつかり、四肢を伸ばしながら、生とは、死とは何かを考える。