「あの世界で生きていく方法があると示せた」 NBA挑戦の先駆者、渡辺雄太が切り開いた地平
―どんなに苦しくても「20代の間は絶対に逃げない、諦めない」と決めていたと聞きました。第一人者としての使命感のようなものもありましたか。 「自分が成功することで、次の世代につながってくるんじゃないかという気持ちはありました。あとは、他の選手を見て、自分より力のある選手はたくさんいましたけど、その選手より自分が努力できていると、ずっと思っていました。中途半端な(米挑戦の)やめ方は、努力を積み重ねてきた自分に対しても失礼。(日々全力を注ぎ)NBAに入りたての頃は『NBAでもし6、7年やったら、僕は燃え尽きてしまうんじゃないか』『30歳で引退してもいい』と本当に思っていました」 ―苦労を重ねる中で「自分らしさを見つけられた」とも話していました。自分らしさとはどんなものですか。 「僕はいい意味でも悪い意味でも結構頑固なところがあります。自分がこうする、と決めたことは、とにかく曲げずにやり続ける。やると公言した以上、絶対にやり続けるというのが自分らしさなのかなと思っています」
―日本人のNBAへの道を大きく切り開きました。 「やっている時は自分のことで精いっぱいでしたが、今振り返ってみると、多少なりとも、次の選手たちの道しるべになれたんじゃないかと思っています。僕はドラフトされずにはい上がっていくNBAでの生き残り方みたいなものを、自分のプレーで示せた。塁はドラフトされ、塁は塁のしんどさがある中で、実力を証明している。あの世界で生きていく方法があると、僕ら2人が示せたと思っています」 ―NBAの世界では日本人やアジア人の選手は少数派です。だからこそ苦労したことはありますか。 「そこに関してはあまり感じたことがありません。単純に向こうでは、力があればリスペクトしてもらえる。アジア人だから、黒人だから、白人だからといったことは関係なく、自分の力を証明すれば、みんながちゃんとリスペクトしてくれたと思っています」 ―後に続く日本の若者に伝えたいことはありますか。