「あの世界で生きていく方法があると示せた」 NBA挑戦の先駆者、渡辺雄太が切り開いた地平
「僕や塁が同時期にNBAでプレーしていたことで、日本で今まで以上にNBAを身近なものに感じてもらえたと思います。それをきっかけにNBAを目指し、米国に行ってプレーしたいという子が増えていくことを、本当に望んでいます。僕が『米国に行く』と言っていた頃は(成功に懐疑的な見方もあり)、その考えは『悪』みたいな扱いをされました。僕や塁が向こうであれだけやったことによって、周りの考え方、日本人が米国へ行くことへの捉え方を変えられたんじゃないかと思います」 ―野球の大リーグでは多くの日本人が活躍しています。NBAでもいつかそんな状況が生まれると思いますか。 「昔に比べれば日本国内のバスケはかなり盛り上がってきていますし、小さい頃から高いレベルを目指す子どもたちが増えてくると思います。NBAで通用する日本人がたくさん出てくるにはやはり時間がかかるとは思いますが、無理な話ではないんじゃないかと思っています」 ―渡辺選手も出場した昨年のW杯で日本はアジア最上位となってパリ五輪の出場を決めました。なぜW杯では好結果が出たと思いますか。
「僕らベテラン陣がいろんな経験を積むことができていたというのが大きいし、本当にハングリーな若手もたくさんいました。その二つがうまく組み合わさりました。日本代表のレベルも毎年、練習の強度を含めて上がってきています。W杯前の最終12人のメンバーに残るための争いは、間違いなく過去と比べても一番大変だったと思います」 ―練習の強度はどう変化したのでしょうか。 「僕が日本から米国に行った時に最初に感じた一番の大きな違いが、練習に対する集中力や激しさでした。日本は練習の時間をすごく取るし、みんなが全てのメニューを一生懸命こなしますが、全メニューが80%ぐらい(の力の注ぎ方)になってしまう。逆に米国は、力を抜くところは20%でやるが、集中したらもう100%、120%でやる。今までの日本は本当に強度の高い練習はなかなかできていなかったと思いますが、去年のW杯に関しては、そこは完全にクリアしていた。けがを防ぐため、コーチが途中で練習を止めなきゃいけないぐらい、みんな激しくやっていました。そういうチームはやっぱり強くなるなと思いました」