能登半島地震から4か月 輪島市町野町出身のシナリオライター・藤本透さんが見つめる“ふるさと”の今
石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんの実家は全壊し、家族は約1ヶ月の避難所生活を経て、県外での避難生活を余儀なくされました。 【写真を見る】能登半島地震から4か月 輪島市町野町出身のシナリオライター・藤本透さんが見つめる“ふるさと”の今 発災から一日も休まず、現地ならではの情報や行政機関の情報をまとめて、X(旧・Twitter)で発信を続けている藤本さんには、今の町野町はどのように映っているのでしょうか。 MRO北陸放送では、町野町を中心に被災者の声を藤本さんがまとめた企画記事を月に1度、NEWS DIGで配信していきます。今回は第1回です。 輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。 私のふるさと、輪島市町野町は輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。 私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。 地震発生から4か月がたち、テレビなどのメディアでは、被災地の情報のごく一部が報道されるのみ。発災時から時間が経つにつれ、SNSなどでの情報発信も少なくなってきております。 避難生活が長引く中で、現状を聞いても、当たり前ではないことが日常になってしまった被災者のみなさんは、何に困っているのかもすぐに思いつかないような状況です。 発災時は雪の降る真冬の寒さでしたが、春になり汗ばむ陽気の日も増えてきました。町野町は全壊家屋が多いこともあり、衣類を中心とした生活用品がいまだに不足しています。 冬物しか着るものがなく、どうにか家を片付けてタンスなどを探ってみても、雨漏りでカビだらけになってしまっていて、使える状態にはありません。 買い直すにしても、町野町は公共交通機関が止まったままのため、特に高齢者は交通手段がなく、買い物に行けない状況が続いております。 車があり、買い物に出かけられる人も、輪島市内の衣類取扱店は時短営業、近隣の大型店は閉店のお知らせが出るなど、不便な状況に変わりはありません。