中華航空機墜落事故から20年 どんな事故だったのか?
1994年に名古屋空港で中華航空の旅客機が墜落・炎上した事故発生から、4月26日でちょうど20年。乗客乗員264名が死亡し、1985年の日航機墜落事故に次ぐ日本の航空史上2番目の大惨事となりました。改めて、どのような事故だったのかを振り返ってみましょう。
1994年、名古屋空港近くに墜落
台北発名古屋行きの中華航空140便(エアバスA300-600R)が名古屋空港の滑走路近くに墜落したのは1994年4月26日午後8時16分ごろ。機体は大破炎上し、乗員乗客264名が死亡、7名が重傷を負いました。 同機の動きを追ってみましょう。台北国際空港を離陸したのは午後5時43分(日本時間)。後後8時12分には名古屋空港の滑走路から一番遠いアウターマーカー(無線標識)を通過、同13分頃には名古屋タワー(管制塔)に「着陸支障なし」という報告がありました。ところが、その約2分後、「ゴー・アラウンド」(着陸やり直し)を管制塔に伝達。その直後、同機は上昇し両エンジンから出火、墜落したのです。
機内では何が起きていた?
運輸省航空事故調査委員会が行ったボイスレコーダーの分析によれば、操縦していたのは副操縦士でした。着陸に向けて順調に下降を続けていたものの、副操縦士が誤って「ゴー・レバー」(着陸やり直しレバー)を作動させたことで「ゴー・アラウンド」モードに移行。機長がゴー・レバーの解除を指示したものの、副操縦士はそれを解除しないまま、オートパイロット(自動操縦装置)を起動しました。 機長の指示に従い、着陸に向けた降下を試みる副操縦士。操縦桿を押して機首を下げようとしましたが、自動操縦装置はゴー・レバーが入っていたため、動作に反発して逆に機首が上昇。昇降舵は機首下げ限界まで、水平安定板は機首上げ限界まで移動し、水平安定板は“へ”の字に曲がってしまいました。 どんどん異常な体勢になる機体。立て直しを図ろうとしたコンピューターはエンジン出力を上げる失速防止装置を作動しました。しかし、これによって機首はさらに上向きます。機長が操縦を代わり着陸をやり直そうとしたものの、異常体勢時に急上昇したことで機体が失速。そのまま墜落という最悪の事態になりました。