大神いずみ「いつの間にか長男大学生、次男は中2。ラップのライブに一人で行かせるか?我が身を振り返って悩む」
◆推しのアマチュアバンドを追いかけて ましてやこのたび、ライブ会場だ! ごった返す血気盛んな観衆の中に放たれる我が息子… 勢いの中でお財布がポケットから滑り落ちている様しか想像つかないのである。 ‥なぁんて話を、 久しぶりに連絡した福岡の友達にしていた。 すると友達はよほど驚いたようなスタンプを返してきて、 「いずみがライブに行くなって子どもに言うとか、ありえんやろ」 「あんた親に黙って一番ライブ行っとったやん。よくもまあ、今になって子どもに反対できるよね」 それ高校の時な! ‥いやしかし親に黙って行っていたのは、そうです、本当です。いひ。すんばせん。 時代はバンドブームの走りの頃。 推しのアマチュアバンドを追いかけて楽屋口で出待ちしていた、いずみ16歳。 誰にでも親に言えないことの1つや2つ、ありましょうよ… ということは、今息子たちがわたしに言えないことの1つや2つ、大いにあるということだ! ‥ということに、わたしはつい先週気がついたのでした。先週て!? ちなみにわたしが人生初のライブを観に行ったのは、中2の12月。YMOの散開(解散)ライブだった。 誰よりも憧れていた坂本龍一さんに一目会いたくて、両親に拝み倒し額を床に擦り付けて頼み、なんとか許してもらって行ったライブだった。
◆子どもを手放していく時 一生記憶が色褪せることはない。40年経ってもまだ繰り返し観て感動が冷めないライブ。 奇しくもいま瑛介の歳で観たあの時を思い出して、一生の宝物を大切に大切に抱えている自分に気がついた。 そのわたしが、どうしたものか息子のここ一番のお願いを真っ向から却下している。 親ってホントに、ズルいと言われても仕方ない。 いつからいろんなことを忘れてしまったのかな、と考えることがある。 大人は一通り子どもを通り越してきたのなら、子どもの頃の気持ちも覚えているはずなのに。 いつのまにか頭ごなしに「ダメです!」な親になってしまったことが、恥ずかしいようなザンネンなような、複雑な気持ちになってしまった。 立場が変わると感じるものも変わるのかもしれない。 でも一度でもその経験があって知っているのなら、 「ああ、そうそう、そうだよね。それわかるよ」 目の高さを同じにして話をしたり、一緒に考えたりすることに奇をてらわない親でいられたらな、と… 少し首を垂れて反省する大神なのでした。 いつのまにかわたしの背を追い越して、よく見ればわたしより屈強な体格から擦り手で拝み倒してくる中2・瑛介。こんな図体のデカい息子を、まだディズニーランドにも親なしで行かせたことがないのだ。 1つ1つ、信じて子どもを手放していく時が来たのかもしれないな。 ライブ、 お母さんも一緒に行こうかな!
大神いずみ
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