国際的リゾート地・セブへの移住で「節税・リゾートライフ・わが子へのバイリンガル教育」を実現した元・地方都市会社員「学年の半分は日本人」「母子留学多い」驚きの海外実情
日本人の海外移住というと、香港、シンガポール、バンコク、クアラルンプール等が比較的多いのですが、移住先は大都市ばかりとは限りません。今回はフィリピンの国際的リゾート地、セブ島に移住した川端さん(仮名)にお話を伺いました。※本記事は、OWL Investmentsのマネージング・ディレクターの小峰孝史弁護士が監修、OWL Investmentsが執筆・編集したものです。 年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
地元のデザイン会社から憧れの東京へ、そしてニューヨークへ
小峰:まずはご経歴を教えていただけますか? 川端さん:私は関東地方の中小都市の生まれで、デザイン専門学校を卒業後、地元で就職しました。しかし、東京で仕事をしたいと思い、東京に本社がある家具の製造販売会社にアルバイトで入社しました。最初は、製品の売り子や販売促進グッズの頒布など下働きでしたが、やがて、正社員として東京の本社でデザインの仕事を任されるようになりました。 小峰:目標を達成なさったのですね。 川端さん:はい。でも「東京で仕事をする」という目標を達成したら、今度はニューヨークで仕事をしたくなりました。「ニューヨークで仕事をしています」といえたら、カッコいいじゃないですか。 小峰:ビザを取ってニューヨークで仕事をするのは、ハードルが高いですよね。 川端さん:そもそも、英語がまったくできませんでした。そこで、まず、カナダのバンクーバーにある語学学校に2ヵ月間通いました。この語学学校で、英語に少し慣れ、のちに妻となる女性と知り合いました。 小峰:語学留学で人生が変わりましたね。 川端さん:帰国後、工事現場の交通整理のアルバイトをしながら、ニューヨークでの仕事を探しました。幸い、ニューヨークのギャラリーでのインターンの仕事を見つけることができました。ニューヨークで個展を開きたい若手芸術家を見つけ、個展開催をアレンジするのです。自費出版したい作家を見つけて出版させる仕事の、いわばアーティスト版です。ニューヨークのブルックリンに住み、楽しい1年間を過ごしました。