自衛隊海外派遣、靖国参拝、集団的自衛権の一部容認…外政家・高村正彦が語った日本外交の舞台裏(レビュー)
自民党副総裁や外相を務めた高村正彦氏が日本外交の舞台裏を語った『冷戦後の日本外交』(新潮社)が刊行された。 外交・安全保障の問題について、その分野に詳しい専門家の問いに答える形で、ご自身の言葉でその軌跡を振り返った本作の読みどころとは? 日本経済新聞編集委員の大石格氏が本作の刊行に寄せた書評を紹介する。
大石格・評「現実的平和主義者の「振り子」論」
本書は自民党副総裁などの要職を歴任した高村正彦氏のオーラルヒストリーである。 同氏はすでに『振り子を真ん中に』という自伝を出しているが、そちらは選挙運動や派閥運営など政治生活を幅広く振り返っている。本書は、外相などを務めた際に直面した外交・安全保障のさまざまな課題に重点を置き、その分野に詳しい専門家が質問して聞き取った。平成期の日本の安保政策の葛藤を知る格好の資料となろう。 高村氏が活躍した時期の日本が置かれた立場を要約すれば、「一国平和主義が通じなくなった時代」といってよい。世界の経済大国のひとつとして国際秩序の安定がもたらす利益を享受しながら、そのための貢献が足りていないのではないか。1990年に始まった湾岸危機・湾岸戦争は、当時の政治指導者にこの問いを鋭く突きつけた。 目に見える貢献として立案された自衛隊掃海艇のペルシャ湾への派遣に、海部俊樹首相はうんと言わない。高村氏はふたりが属する派閥の領袖である河本敏夫氏に説得をお願いした。このエピソードは、外交と内政が一体であることの証明である一方で、日本政治が論理的な思考よりも情緒的な人間関係で成り立っている現実をよく示す。 そうした政治風土の下で、地に足をつけた現実的な外交・安保論議をどうしたら進められるか。その土台づくりをした。これが高村氏の最大の功績である。 海外に災害救援などに行く国際緊急援助隊が1987年に創設されるが、その際に「自己完結型の自衛隊が行かなかったら何もできないじゃないか」と主張した話が出てくる。自衛隊の海外派遣の是非というイデオロギー論争ではなく、実際に国際貢献になるかどうかで判断する。こうした視点は、掃海艇派遣をめぐる論議の先駆けとなった。 真骨頂はやはり第2次安倍政権における集団的自衛権の憲法解釈の見直しと平和安全法制の制定である。ここでも集団的自衛権の行使は合憲か違憲かの二者択一でなく、「国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」であれば行使できるとする限定容認(本人の言葉遣いでは「一部容認」)論を打ち出した。 当時、安倍晋三首相は「根っこから容認」「まるごと容認」論者とみられており、世論の反発は激しかった。安倍氏が限定容認を受け入れていなければ、平和安全法制は実現せず、日米同盟は揺らいでいたかもしれない。高村氏のように現実的な政治判断と、それを裏打ちする理屈づけの両方を同時にこなせる政治家はなかなかいない。 安倍氏が立ち上げた有識者会議が根拠に据えようとした芦田修正論でなく、1959年の砂川訴訟の最高裁判決に依拠したのはなぜか。判決を主導した当時の田中耕太郎最高裁長官の心境まで読み解く語り口は、生半可な憲法解説書よりも読み応えがある。 一方で注目すべきは、高村氏は日本を右傾化させようとして憲法解釈の見直しを主導したわけではないことだ。限定容認は左翼勢力に「憲法改悪」と叩かれた一方で、保守派の受けは「生ぬるい」とよくなかった。昨今は日中友好議員連盟の会長を務めていたというだけで、高村氏に媚中派のレッテルを貼る向きまである。誤解も甚だしい。