経済成長の期待は素直に喜べるのか?アフリカに今なお残る植民地支配の記憶
異物としての植民地政府と単一輸出品依存経済の形成
つまり、欧州由来の政府は、外から押し付けられた異物だったのである。当然、アフリカ人の多くはそれを拒絶し、場合によっては、武力で抵抗した。しかし、近代兵器を備えた列強の圧倒的な武力の前に、そのほとんどが屈服させられた。その間に多くの非人道的行為が行われたことは言うまでもない。 統治機構としての政府という異物が押し付けられたアフリカ人の社会は、すでに述べたように、多様な地域に住むさまざまな集団からなっていることが多かった。次回以降に論じるように、このようないびつな植民地のあり方に、現代に続くアフリカの社会政治的な問題の根源があると言ってもよいだろう。なぜなら、現代のアフリカ諸国は、ほぼ各植民地の領域と政府の仕組みを引き継ぐことで成立したからである。 このようないびつな植民地について、列強はその実効支配を維持しなければならなかったが、その費用のすべてを本国がまかなうことはなく、本国から派遣された官吏が運営する政府(植民地政庁)は植民地の中で財源を調達しなければならなかった。そのために、人頭税や家屋税が人びとに課されたが、先に述べた歴史的経験の違いからアフリカの人びとは当然容易には受け入れず、各地で抵抗が起こった。人口密度の低いアフリカでは、人びとから広く税金を集めることは困難をともなった。そうしたこともあって、ほぼすべての植民地で取り組まれたのが、何らかの産品の生産を振興し、本国や海外に輸出することである。鉱物の探索と開発、新しい商品作物の導入など、一次産品(加工していない産品)の開発が進められた。それらの輸出収益に課す税金は、植民地政庁の主な財源となった。 こうした輸出品の生産の開始のためには、産地から海港までの鉄道建設、港湾自体の建設などを含めた投資が必要だった。その費用を拠出したのは、多くの場合、本国・欧米からの投資家であり、当然彼らにとって利益を生むものでなければならなかった。各植民地で、それほど簡単に本国・国際市場での需要が旺盛な産品の生産機会を見出せるわけではない。したがって、限られた数、ときにはただ一つの輸出産品に多くを依存する経済が形成されたのである。 1960年代を中心に独立したアフリカ諸国は、植民地の領域と政府の機構とともに、こうした単一輸出品依存経済をも継承した。独立後の高い経済成長は、日本を含めた先進国経済が活況にあり、一次産品への需要が年々拡大していったことによって生じたのである。そして、その後の長期の経済停滞はその需要が低迷することが主因だった。後で見ていくように、実は21世紀になってからのアフリカも、少なくとも一面で単一輸出品依存経済が外部の需要の拡大によって高度に成長してきたという意味で、大きくは変わらなかったのである。その意味で、アフリカは植民地経済の特徴を未だに引きずっていることになる。そこにアフリカ経済の本当の希望を見出すことはできないだろう。 次回以降は、果たして単一輸出品依存というアフリカ経済の体質が全く変わっていないのか、それとも、別の新しい芽にも注目するべきなのか、その状況について見ていこう。 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 兼 神戸大学大学院国際協力研究科 教授 高橋基樹)専門は、アフリカ地域研究、開発経済学。主な著書に『開発と国家―アフリカ政治経済論序説―』(勁草書房)、『現代アフリカ経済論』(共編著、ミネルヴァ書房)など