「富士山噴火」は必ず起きる…通り過ぎた後は「すべて」を焼き尽くす「火砕流」の想像を絶する「高温」と「スピード」
火砕流の正体
火砕流はさまざまな地形を乗り越えて、ときに何十キロメートルも離れた場所まで流れ下る。火砕流が凹凸のある地面を通過するときには、周囲の空気が火砕流の中に取り込まれて体積を膨張させる。火砕流の中に含まれるマグマ起源のガスも、体積の増加に寄与している。 また、火砕流は上空に向かってフワフワと舞いあがることはなく、固体と気体とが拡散せずに一団となって地を這うように流れる。火砕流の流動性が高い理由は、細かい火山灰と大量の気体を含んでいることにある。 このように固体と気体とが攪拌しながら流れる状態を、粉体流という。火山灰とガスが激しくかき混ぜられることによって、大きな岩石まで運びながら火砕流は高速で流れるのである。
火砕流が最初に記録されたカリブの島の火山
20世紀の初頭に、小規模な火砕流が初めて学術的に記述された。 1902年、フランスの地質学者アルフレッド・ラクロワとフランク・ペレが、カリブ海に浮かぶマルティニーク島のプレー火山で発生した火砕流を調査したのである。 この火砕流は、サンピエールに住む2万9000人の住民を吹き飛ばし、死に至らしめたが、彼らの綿密な調査により、この噴火は火砕流現象のモデルとなった。
火砕流が残した爪痕
このとき、調査したラクロワ自身が撮影した、火砕流が通過したあとの市街地を写した珍しい写真が残っており、拙著『富士山噴火と南海トラフ』で紹介した。 その写真でみると、背後の山から流れ下りた火砕流がどのような結果をもたらしたかが、克明に読みとれる。つまり、被災して廃墟と化した街は、流れに対して平行な方向の壁だけが残り、一方で流れがぶつかる方向の壁はすべてなぎ倒されていたのである。 この惨事においては、地下の牢屋に閉じこめられていた囚人ほか数名だけが、火砕流の熱を免れて生き残ったとされている。 では、日本一の高さと山容を誇りながら、いつ噴火してもおかしくない「活火山」である富士山では、どうだろうか。この富士山が噴火したら、はたしてどのような火砕流が発生するのかだろうか。 まずは、富士山で起こりうる火砕流について予測するために、まだ記憶に新しい1991年に起こった雲仙・普賢岳で起こった噴火による火砕流について、詳しく検証してみよう。 ◇ ひとくちに「火砕流」といっても、そのタイプもさまざま。続いては、雲仙・普賢岳で起こった噴火による火砕流を振り返りながら、どういったタイプの火砕流だったのか、どういった被害が生じたのか、いまだから解明された、当時の火砕流の威力を考えてみます。 続く〈起これば激甚被害、しかも予測不可能な「火砕流」…実は「世界のあちこち」で日常茶飯事に起きていた!〉は下の【関連記事】よりどうぞ。 富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ
鎌田 浩毅(京都大学名誉教授)