ガザ戦時下の身体障害者…5万人超が直面する困難 がれきでテントをつくる人も、戦闘開始4カ月の現実
ムハンマドは子どもを両腕に抱き寄せながら、こう続けた。 「避難している私はいま『完璧な』障害者になった。イスラエルは美しかった『残り半分』の私の生活も奪っていった」 ▽自作テント、冬の朝は結露でびしょびしょに UNRWA運営の学校の周辺には、広大な“テント村”が広がっている。がれきから集めた資材で市民が自らテントをつくり、住み始めたのだ。冬を迎えて降雨も続き、暖房のない中で、寒さと飢えに耐えながら避難生活を続ける。 「テントの端には、毛布を敷き詰め、中に水が入らないようにしている。それでも結露は防げず、テント内は毎朝びしょびしょにぬれる」 避難者の1人、アイマン・ザキ(50)が自らつくったテントを説明した。テント2張りに生後2カ月の男児を含め子どもや孫、一家32人で暮らす。「夜はみんなで肩を寄せ合い、暖まりながら眠る」とアイマン。長男アハメドは「暴風雨のときは、テントが吹き飛ぶかと思った」と振り返った。
ザキ一家は北部ガザ市から中部マガジ難民キャンプ内にあるUNRWA運営の学校に避難したが、周辺への軍の攻撃が激しくなり、昨年末ラファに逃れた。ラファでもUNRWA運営の学校に行ったが、空いている場所が見当たらず、周辺の空き地でテントをつくった。軍の攻撃で破壊された建物の中から布や木の棒、プラスチック板を探す。生きるためのそうした行為をとがめる市民はいない。 “テント村”にトイレはなく、近くのモスク(イスラム教礼拝所)で用を足し、料理の際の燃料には、拾い集めたごみを利用することもある。洗濯などの汚水は垂れ流し状態なのが現実だ。 「週に2回、UNRWAから水や食料の配給がある」と話すアイマン。妻ナディア(40)は「子どもたちは常に空腹だ」と、支援物資の小麦でパンを焼きながら静かに話し、肩を落とした。 「夜は寒く、子どもたちは甘い物を欲しがる。けれど、紅茶やミルクに入れる砂糖さえ手に入らない」