執拗な誹謗中傷にあっても「この戦争に関する発信はやめない」 東野篤子教授が貫く思い
●誹謗中傷はあっても、この戦争に関する発信をやめてはいけない
――東野先生のSNSやメディアでの発信が、ロシアによるウクライナ侵攻開始以降の日本の世論形成や情報環境の構築に影響を及ぼしたことは間違いない一方で、だからこそ「キャンセル」したい人たちが出てきてしまう。もちろん論文や専門書でも発信はできますが、読むのはなかなかハードルが高いです。 東野:私の発信が日本の世論に影響を与えたというのは過分な評価で恐縮しますが、そういったご評価は、私とは意見を異にする人々から「東野のような国際政治学者が日本を誤った方向に導いた」という、SNSで典型的に見られる非難と紙一重になりがちなのですね。 私ひとりの意見で日本の世論が動いたというのはよく考えればおかしな話で、結局のところ、様々な研究者の意見を聞いた皆さんが、受け取った情報を吟味し、比較考量して、自分の考えを形作っていくにすぎません。 しかし、「東野はメディア出演やSNSでフォロワーを焚きつけ、日本を誤ったウクライナ支援に向かわせた」と、私に対する苛立ちをSNSにぶちまける方が少なくありません。こうした指摘は、「一般の人々はどうせ自分の頭で考えることなどできず、目立つ人に無批判に同調することしか出来ない」と決めつけ、下に見ているのと同じです。 論文は論文で重要ですが、SNSやテレビと違って即時性に欠けます。「今日決定されたEUのウクライナ支援のポイントはなにか」をその日のうちに解説することで、視聴者の方々の解像度は上がりますよね。 また、「テレビで見たあの人の本や論文だから読んでみよう」と入り口を作ることにもなります。だからこそ、誹謗中傷はあっても、この戦争に関する発信をやめてはいけない、という思いを強く持っています。 メディアでの発信を控えるようになった場合、どういうことが起きるのか。私はどうしても2014年のロシアによるクリミア占領時のことを思い出してしまうのです。 当時は国際的にも強いロシア非難の声が上がらなかったことで、ロシアによるクリミアの占領を黙認する空気が日本の言論空間を支配しました。これはロシアに成功体験を与えることになり、これが2022年のウクライナ全面侵攻にもつながっています。 私は一介の学者にすぎませんが、2014年当時、死力を尽くしてロシアによるクリミア占領の不当性を訴えたかというと、全くもって努力が足りなかったと思います。世間に聞いてもらえるかどうかは全く別にして、もっと声をあげるべきだった。あの後悔を、もう二度と繰り返すまいと思います。 また、研究者の発信を恣意的な歪曲から守る必要も感じています。私は最初から一貫して、「ロシアからの不当な侵略を受けたウクライナが、国土防衛を続けることを選んでいる以上、国際社会はその意思を尊重し、支えるべきである」と言い続けています。この戦争の着地点はウクライナ人が決めるべきことです。 しかし、SNSではこの「ウクライナ人が決めること」という議論を曲解し、「東野が『ウクライナ徹底抗戦』を叫び、ウクライナ人を皆殺しにしようとしている」などと書き込む人が少なくありません。 ウクライナの意志や主権を重視することと、学者が自分の考えを押しつけることとのあいだには、天と地ほどの差があります。学者にとって自説を曲解されたり、偽情報を広められるのは研究者生命を左右しかねない問題ですから、自分の主張が歪曲された場合にはこれを訂正する情報を発信する必要があります。 あまりにも誹謗中傷が多いので、途中からはⅩのアカウントに鍵をかけて一部の人にしか発信できない状態にしていたのですが、この鍵もつい最近外したところです。侵略から3年目を迎え、情報の発信を強化していかねばならないというのがその最大の理由ですが、さらに別の理由として、私が鍵をかけたことで、私という攻撃先を失った中傷者が、日本にいるウクライナ関係者アカウントに向かってしまったからです。 しかも私の発信に対する監視やあげつらいのようなことは引き続きおこなわれていますので、鍵をかけた意味は限定的にしかないこともわかりました。 私が鍵をかけたことで、攻撃対象が他の方に移るだけの効果しかないのであれば、根本的には何の解決にもなっていません。むしろ、一般の方がいわれなきネット攻撃を受けるぐらいなら、研究で得られた自分の知見を述べている私に批判が来るほうが、まだ理解できます。