執拗な誹謗中傷にあっても「この戦争に関する発信はやめない」 東野篤子教授が貫く思い
●「東野を出すな、出すなら見ない」との書き込み
――警察官の例に限りませんが、こちらは相手がわからない一方、相手はこちらのことを顔も、勤務先も知っている。その恐怖は想像を絶します。それにしても、学者という立場の方が、こうした陰湿な書き込みや誹謗中傷、粘着の対象になるのはなぜなのでしょうか。 東野:これは今に始まったことではありません。SNSでこそないものの、私が勤務する筑波大学では、1991年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語訳した五十嵐一助教授が大学構内でテロの犠牲者になりました。発信者である以上、何らかの形で手を変え品を変え、暴力の対象になる可能性がある。いわば、古くて新しい問題です。 なぜ、中傷を繰り返すのかと言えば、やはり「キャンセル」が一つの大きな動機だと思います。自分の気に入らない人間はテレビに出したくない、新聞に出したくない、発言機会を与えたくない。 私が出演する番組のSNSアカウントが告知すると、「東野を出すな、出すなら見ない」「東野が出るのか、今からテレビ局に抗議する」などの書き込みをおこなわれることからもわかりますよね。私に発信の機会を下さっている番組に迷惑をかけていることを申し訳なく思っています。
●ネット上の誹謗中傷は巧妙化している
――茨城県警の警察官は、いわば「親ロシア」派で、文春オンラインの取材に対して「デジタルソルジャーとして戦っている」と答えていました。誹謗中傷も言論戦の一環だととらえているようです。 東野:彼はプーチンを崇拝していたことから、ロシアによる侵略を非難している私を標的にした面はあります。しかし、それそのものが問題なのではありません。自分とは意見の異なる研究者を、発言内容に言論で反論するのではなく、容姿や属性に対して執拗に攻撃しているところに問題があるのです。 より根深い問題もあります。警察官の事例では「バケモノ」などの書き込みが「一発アウト」だったために開示請求が可能であり、その他の書き込みの異常性も認められて刑事告発となりましたが、そうではない書き込みも山のようにあります。 ネット上の誹謗中傷は巧妙化していて、「どこまでやれば開示請求になるのか」「何を言ったら侮辱罪や名誉毀損になるか」というラインを知り尽くした人たちが、「ギリギリのやり方でいかに相手の社会的評価を毀損するか」「自身は中傷にならないラインで発信しつつ、いかに周囲のフォロワーたちに攻撃を仕向けられるか」を試している状況にあるのではないでしょうか。 たとえば一時、「東野が匿名のアカウントを使って自分の気に入らない人を攻撃している」と執拗にほのめかされたことがありました。 私は匿名アカウントは使っておらず、自分のアカウントのみで発信していますが、「私は匿名アカウントは持っていません」、あるいは「ご指摘のアカウントは私とは無関係です」ということを証明することは現状では不可能なんですね。 このため、こうした書き込みをされたらこちらは耐えるしかありません。彼らはそのことを十分に知り尽くしたうえで、いわば安全地帯から憶測を書き込み続けています。 ――一方的に粘着され「キャンセル」に追い込むという手法が広がると、顔や実名を出して発信することに及び腰になる人も出て来そうです。 東野:私の長年の友人の女性研究者から、「あなたを近くで見ていたらあまりにひどい目に遭っているから、私は絶対にテレビ出演はしないしSNSもやらない」と言われました。優秀な研究者である友人が、私を見て発信を諦めたことについてやるせない思いを持つとともに、たしかに彼女には私のような目には遭ってほしくないとも思うのです。 論文や本を書くことで発信することはできるのだから、無理する必要はない、と。ただ私がここまでひどい目に遭っていなければ、彼女ももっと世の中に発信ができていたかもしれない、と残念にも思います。