天才肌と言われたけど、感覚だけではできないですよ――加藤茶78歳、笑いと歩んだ半世紀
「まだ介護されていないですよ」。78歳を迎えた加藤茶は、そう言って笑った。45歳下の綾菜さんと結婚して10年、最近はすっかり健康だという。最高視聴率50.5%を記録したバラエティー番組『8時だョ!全員集合』が始まったのは、1969年のこと。それから半世紀以上、「加トちゃん」として親しまれている。ザ・ドリフターズはなぜ一世を風靡したのか。人気の裏にあった苦悩、盟友・志村けんとの番組作り、そして、バッシングも受けた「年の差婚」の今は。コメディアン・加藤茶の道のりを聞いた。(取材・文:塚原沙耶/撮影:猪原悠/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
1960年代、東京のパワーはものすごかった
「昔から僕は、『加藤さん』とか『師匠』とか呼ばないでくれって言ってるんですよ。『加トちゃん』でいいと。一番大事なのは、自分が笑ってもらえるキャラクターになること。寅さんなんて最たるものじゃないですか。どこに行っても寅さんで、何をやっても許される。ああいうキャラクターを作りたかった」 「『全員集合』でも、『こんなそそっかしい会社員がいたら、どうかな?』というふうに、人からネタをどんどん作っていく。僕の場合、酔っ払いとか、みすぼらしいオヤジとか。志村だとバカ殿とか、あいつはいろんなキャラクターを作りましたね」 ザ・ドリフターズによる公開バラエティー番組『8時だョ!全員集合』が始まったのは、1969年、加藤が26歳の頃だ。16年間放送され、最高視聴率は50.5%。一時代を築いた。加藤は「加トちゃんペッ!」「ちょっとだけヨ」などのギャグで子どもたちから大人気に。半世紀を経た78歳の今も、変わらず「加トちゃん」であり続けている。
1943年、東京の世田谷区に生まれた。少年時代は福島県で母と妹と3人で暮らす。新聞配達をして家計を支えた。 「平凡な少年でしたよ。あんまり笑いを取るわけでもなく。子どもの頃は、自分と妹の弁当を作ってました。作るっていったって、あの頃は佃煮と玉子焼きとか、そのぐらいですね」 高校生の頃、映写技師のアルバイトをした。そこでくり返し見た喜劇映画を、のちに思い出すことになる。 「チャップリンとかジェリー・ルイスとか、1日に3回、だいたい1週間かけました。楽しくて面白くて。お客さんは字幕ではなく、動きを見て笑っているんですよね。言葉がなくても動きだけでわかるんだ、と。笑いというのはすごいなと思いました。まさか自分がやるとは思わなかったですけど。『全員集合』が始まってからは、映画をもとにいろいろネタを考えました。志村とのヒゲ・ダンスも、せりふではなく動きだけで笑わせるものですね」