【2024センバツ】高校球児が全力プレーできる環境を整える――最後の日まで事務局員としての職務を全う
続いたイレギュラー
第96回選抜高校野球大会▼第11日(決勝) 【3月31日】 いつもと変わらない。センバツ決勝(3月31日)のゲーム開始の4時間以上前には甲子園入り。日本高野連・小倉好正前事務局長(現・理事)は書類を手に、球場内を動き回っていた。高校球児が全力プレーできる環境を整える。大会運営に尽力していた。 今大会は主に試合後、登板投手の「肩肘検査」の誘導を担当した。グラウンドから引き揚げてくる出場校の責任教師に、該当選手の最終確認。取材後、ドクターの診察を受ける旨の連絡業務を担った。同連盟事務局の契約職員として、3月末限りでの退職が決まっており、今大会は各関係者にあいさつをする場でもあった。 「出場校のチーム関係者にお声がけできたのはありがたいことです。91回センバツ大会の途中から参加させていただき、92回大会は中止。93回大会に復活し、95回大会は開会式が従来の形が戻りました。私にとって(事務局長として)最後の甲子園大会。応援も従来のスタイルで、本来の高校野球の姿が蘇り、うれしかった。そして最後、今年はこういう形で、関わることができて幸せです」 愛媛県出身の小倉氏は大学卒業後、長浜高、川之石高で野球部長、監督などを務め、大洲高の4年目から愛媛県高野連理事。松山商高では9年間、愛媛県高野連理事長を務めた。宇和島南高定時制、八幡浜高で教頭を務め、三崎高、小松高、松山西中等教育での校長を経て、19年4月に日本高野連事務局長補佐に就任。球歴は小学校時代のソフトボールのみ、選手としての野球経験はないが、各教育現場での実績が認められ「教員経験者」として、日本高野連事務局から打診を受けた。 当時、事務局長だった竹中雅彦氏とは和歌山県高野連理事長、日本高野連の審議委員時代に関わりがあった。竹中氏は小倉氏を「教育者」として評価。学校長経験者で、連盟と学校現場とのパイプ役として適任と考えていた。竹中理事長は65歳となる19年12月に定年退職を控えていたが、同9月に緊急入院。小倉氏は事務局長代行として、職務に当たった。10月、竹中氏は間質性肺炎で帰らぬ人となった。11月29日、日本高野連理事会での承認を経て、小倉氏が事務局長に就任。志半ばで亡くなった、竹中氏の遺志を継いだ。つまり、前倒しでの就任となったのである。 イレギュラーは続いた。事務局長として初の甲子園大会となるはずだった20年春のセンバツは、コロナ禍で中止。同夏も中止。本来の甲子園大会期間中には「2020年甲子園高校野球交流試合」を開催。センバツ出場32校を招待し、各校1試合、甲子園の場を提供した。8月末(甲子園)、9月上旬(東京ドーム)には「高校3年生の進路保障」を目的に「プロ志望高校生合同練習会」を実施。NPBとの協力により実現した初の試みだった。以降、21年春、夏、22年春、夏は「新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」の下での大会運営が続いた。