【2024センバツ】高校球児が全力プレーできる環境を整える――最後の日まで事務局員としての職務を全う
コロナ禍に浸かった約5年間
過去に例のない大会運営。さまざまな対応は、マニュアルも何もない。小倉氏は全国の都道府県高野連、教育委員会など、現場の声から多くの情報を集めてから、物事に当たった。 専門家などからの多くの知見も得て、慎重に物事を進めた。この間、開幕前、大会期間中の集団感染などにより、出場辞退する学校が複数出た。小倉氏は大会後、出場辞退となった学校へ足を運び学校長、野球部長、監督、生徒の声を聞いて回った。「最終決断」をする学校長経験者としての経験が生かされた。 昨年5月4日で事務局長を定年退職。同8日には感染法上の取り扱いが2類相当から5類に位置づけられたことから、コロナ禍にどっぷりと浸かった約5年間であったのである。 「新型コロナの対応は大変でしたが、一方では選手の健康管理、障害予防(球数制限、タイブレーク、継続試合、24年センバツから新基準の金属バット導入)を並行して考え直すきっかけになったかと思います。昨夏から甲子園のベンチ登録人数が2人増えて20人(センバツは今春から20人)。19年の段階で協議していたんですが、コロナ禍で先送りとなった背景があります。一昨年夏からは甲子園大会の女子部員の活動の場(ノック、ボール渡し、ボールパーソン)を広げました。私たちが今、できることを早く取り入れるべきでは、と考えてきたつもりです」 事務局長退任後も、新体制の引き継ぎ期間として、契約職員で日本高野連に残った。23年夏の選手権大会を経て、今春のセンバツがラスト。当初は3月30日が決勝の予定だったが、雨天中止により、31日開催。日本高野連の退職日と、決勝が重なったのである。 小倉氏の後任である、井本亘事務局長は言う。 「小倉さんが事務局長在任時、恐らく、高校野球がプラスになるような、さまざまなお考えをお持ちだったと思いますが、コロナですべてが飛んでしまいました。最後の最後まで、コロナ対応。通常の大会をご経験されないまま、ご退職となりました。実直。誠実。真面目。小倉さんだったからこそ、コロナ禍でうまく舵取りし、乗り切れたと思います。我々としても頼りにしていました。感謝しかない。思いを引き継いでいきたいと思っています」 健大高崎高が優勝したセンバツ決勝を終え、閉会式後、大会期間中に使用した甲子園球場内の事務所を撤収。各荷物を大阪市内の日本高野連事務局へ運んだ。小倉氏は最後まで、事務局員としての職務を全う。日本高野連理事としての任期は、24年まで残している。 「松山に帰って、今後も何らかの形で、高校野球を応援できれば良いと考えています」。教育者、連盟運営者として育ててもらった地元・愛媛のため、力になりたいという。5月で66歳。まだまだ、元気である。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール