<戦後70年>“幻の大本営”に学ぶ戦争の不条理 長野・松代
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安保法制論議の高まりと戦後70年の節目に、長野県の松代大本営跡(長野市、まつしろだいほんえいあと)への見学者が増え、9日に行なわれた「親子見学会」には県内外の多数のが学生や市民が参加しました。終戦行事のある8月中には例年以上の参加者が見込まれています。太平洋戦争末期に天皇を長野県に迎えて本土決戦に突き進もうとした大掛かりな計画に、あらためて「戦争は恐ろしい」と感想を書き留めていく見学者も少なくありませんでした。
本土決戦に備え国体護持を図る
松代大本営は、日本の敗色が濃くなった1944(昭和19)年11月12日から翌1945年8月15日の終戦までの9か月にわたり、長野市松代町の象山、西条舞鶴山などに造られた、大掛かりな政府・軍などの施設や地下壕です。軍部は、東京の皇居を空襲から避けるとともに本土決戦に備え、国体(天皇制による国の在り方)護持を図るとして軍や一般人、朝鮮からの人たちなど延べ300万人を動員、現在に換算して4000億円もの費用をかけて突貫工事を進めたとされています。 これら現存する施設を平和教育などに生かそうと、NPO法人「松代大本営平和祈念館」がガイド事業を実施。研修を終えたガイドが30人以上おり、恒常的に活動する10数人が有料で案内しています。8月は終戦行事も多いことから、定例見学会の第2日曜日の9日を無料の「親子見学会」とし、この日は静岡県の小学生や県内外の中高校生、一般人ら400人以上が参加。終戦の日の8月15日にも無料のガイドを予定していますが、今年は安保法制の議論などで戦争への関心が高く、この2回で例年以上の1000人を超す参加者が見込まれています。
幅4.3メートルの地下壕が20本並ぶ
9日の親子見学会では地下壕内の気温が約15度。例年にない酷暑の中、地下壕に入った参加者は「涼しい」「寒い」と心地よい冷風にまず大喜び。付き添ったガイドが資料を掲げながら地下壕の工事の方法や朝鮮人労働者などについて説明しました。削岩機で開けた穴や固い岩盤を指し示しながら「工事は当初8時間3交代制でしたが、やがて12時間2交代制になるなど厳しさを増しました」と話すと、中学生らは驚いた表情を見せていました。 ガイドの説明では、地下壕は幅4.3メートル、高さ2.7メートルの縦坑が20本並び、横に連絡する連絡通路が5本。長いトンネル状の地下壕に政府機関や放送、通信機関の事務室をつなげて設け、寝台列車のようにわきに設けた通路で行き来する構造でした。トイレや空調設備の痕跡がないのが謎ですが、最終段階では設けられたのではないかと見られています。