「孤独」感じる人を減らしたい 高校生が行動に至るまで
なぜ私が行動するのか
姉の人生は孤独と隣り合わせにあるのが日常的でしたが、その孤独と共存できず飲み込まれたことが、引きこもりに直結しました。常に姉の隣にいた私は、いつか姉の素晴らしい個性を認めてくれる人や会社が現われるのではないかと期待していました。しかしなかなか思うようにはならず、周りの環境が立てる姉への障害の大きさに愕然(がくぜん)としました。 そして、人が人に作り上げる障害に対する違和感が、去年確固たるものになりました。私の通う学園の小学生と保護者がバス停で並んでいたところ、いきなり刃物を持った男に殺傷されるという何とも無残な事件が起こりました。何人もの身近な命が奪われたこの事件。学校は騒然となり、日々詰め寄るマスコミに不安を感じました。 この事件の容疑者(その場で自ら首を切り死亡)が負わなければならない責任は絶大なものです。しかし、それと同時に私は彼を取り巻く環境にも問題があったのではないかと考えました。容疑者は、社会から長い間弾き出され、行き場を失った、孤独な51歳の引きこもりであったと報じられました。もちろん、同じ境遇の人がみな事件を起こすわけではありません。ただ、この事件は、社会に絶望した容疑者がその社会へ怒りを向け、復讐という誤った考えを持つようになった、との側面もあるように思えてなりません。 孤独を感じることは身体的な不自由さだけから生まれるものだけでなく、国籍、性別、考え方の違いや特性、精神面などにおいて少数派の人々の前に立ちはだかる壁から生まれます。私は姉から孤独が人の心に与える痛みを知りました。そして、このような状態に陥る人を一人でも減らしたいと強く思うようになり、私自身が強い思いを持って、孤独を感じる人に寄り添おうと決心しました。 次回は私がどういう行動を起こしているのか、を具体的に記していこうと思います。