航空史上最悪の事故から39年、人生を変えられた遺族の思いを聞いた 520人犠牲の日航機墜落、御巣鷹「慰霊登山」に同行して
事故から39年となった今年8月12日の早朝、慰霊登山が始まった。日航によると、68家族の230人が登った。強い日差しが照りつける中、息を切らし、噴き出す汗を拭きながら歩く。 それぞれの墓標や昇魂之碑に着くと、手を合わせ、思い思いの言葉をかけていた。 酒好きだった父・義員さん=当時(58)=を亡くした兵庫県西宮市の自営業小西正明さん(69)は、墓標に日本酒を注ぎ、「来年も来るぞ」と語りかけた。好きなマージャンは父が教えてくれた。「今でも、つい昨日のことのように感じる」 遺族らでつくる「8・12連絡会」の事務局長を務める美谷島(みやじま)邦子さん(77)は次男健君=当時(9)=を亡くした。健君の墓標の周りには、好きだったドラえもんの人形やミニカーが並ぶ。 高齢化により、山を訪れる遺族は少なくなっている。美谷島さんはこう語る。「えぐれた山肌を埋めるように毎年歩いてきた。次世代に事故を伝える責務を果たしたい」
普段は電波が通じにくい山中でも通信できるよう、KDDI(au)が臨時基地局を設置。高齢で登山できない遺族にテレビ電話する人もいた。 ▽世代を超えて 21歳で亡くなった加藤博幸さんの甥・小林隼也さん(34)=東京都=は、博幸さんの父で小林さんの祖父・加藤留男さんが慰霊登山に使っていたリュックを担ぎ、登った。留男さんは2002年に69歳で亡くなった。「祖父も一緒に叔父に会いに来たと思う」 小林さんは事故後に生まれ、叔父に会ったことはない。「同世代の人に事故について知ってもらうためにも毎年登りたい」 慰霊登山が終わり、夕方には麓の「慰霊の園」で、せみ時雨の中、追悼慰霊式が開かれた。犠牲者数と同じ520本のろうそくに火をともし、発生時刻の午後6時56分に合わせ、黙とうした。 式には、事故当時を知らない世代の村職員も携わる。妹一家を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さん(74)は「世代を超え、引き継いでくれてうれしい」と感謝していた。