航空史上最悪の事故から39年、人生を変えられた遺族の思いを聞いた 520人犠牲の日航機墜落、御巣鷹「慰霊登山」に同行して
そこだけU字型に切り取られたような稜線が、朝から晴れ渡った青空に縁取られている。39年前の8月12日、日航ジャンボ機が墜落する直前に主翼で削り取った場所だ。 【写真】「ここにいた人たちは、もう疲れることもできない」520人が犠牲になった日航機墜落事故 38年前の夏、20代だった記者は「御巣鷹」の急斜面を歩き続けた 23年
今年の8月12日も、墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に、遺族たちが慰霊のため登山した。急斜面を一歩一歩踏みしめ、あちこちに点在する墓標に亡き人への尽きない思いを伝えた。 日差しの中、時折休みながら歩を進めたのは、大阪府箕面市から訪れた柴田百合子さん(87)。当時21歳だった娘の滝井千合子さんを事故で失った。「娘は今もここにいると思い、毎年来ている」と語った。 乗客乗員524人のうち520人の犠牲者数は、世界で現在も単独事故として航空史上最悪だ。毎年続く慰霊登山には、日航社長らも参加する。しかし、航空事故は繰り返されている。慰霊登山を中心に、関係者の心中を聞いた。(共同通信前橋支局) ▽墜落事故 1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行き日航123便のジャンボ機・ボーイング747が、レーダーから消えた。 見つかったのは埼玉県と長野県の県境に近い、登山道もない標高約1540メートルの山中。機体はバラバラになっていた。
後に現場は「御巣鷹の尾根」と名付けられた。 1987年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、米ボーイング社による機体後部圧力隔壁の修理ミスがあり、日航や運輸省の担当者が見逃したのが原因と結論付けた。 群馬県警は業務上過失致死傷容疑で関係者20人を書類送検したが、その後、全員不起訴となった。 ▽事故現場 現在は、急斜面に階段が続く登山道が整備されている。道沿いには木や石でできた犠牲者の墓標が並ぶ。それぞれの遺体が見つかった場所だ。酒瓶や写真、花束が置かれている。 炎上した機体後部が崩れ落ちた場所には「スゲノ沢」が流れる。多くの犠牲者と生存者4人が見つかったこの付近では、有志らが設置した小さな風車が、カラカラと回っていた。 登山口から30分ほど歩くと、中腹の墜落地点に「昇魂之碑」が現れる。碑前には空の安全を祈る鐘が設置され、犠牲者の名を刻んだ石碑もある。 ▽昨日のことのよう