その影響力も「今は昔」…視聴率「81.4%」を記録した60年代『NHK紅白歌合戦』とその裏番組
強敵!? 『日本レコード大賞』の大晦日移動
もっとも、1963年の大晦日になったNHK火曜夜は19時の『NHKニュース』以降、『バス通り裏』『ジェスチャー』『お笑い3人組』『事件記者』と続く編成で、ほかの曜日と比べても鉄壁のラインナップだった。 裏番組はフジテレビ19時台の『ザ・ヒットパレード』『地上最大のクイズ』、TBS20時台の『源平芸能合戦』『圭三百科』、日本テレビ21時台の『今晩は裕次郎です』『男嫌い』がそこそこ奮闘していた程度で、『第14回NHK紅白歌合戦』の記録的な高視聴率はそうした平時の視聴習慣も影響していたのかも知れない。 補足すると、フジテレビの『地上最大のクイズ』は日清食品一社提供のクイズ番組で、100人の視聴者が参加して最後に生き残った者が賞金100万円を獲得する元祖「デスゲーム」だった。鉄骨渡りや限定ジャンケンの代わりにクイズがあり、利根川幸雄の代わりに桂小金治がいたと考えればだいたい想像がつくだろう。 日本テレビの『男嫌い』は越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代という貫禄がありすぎる女優たちが四姉妹を演じる魔界のような女性上位のシチュエーションコメディで、末っ子役の坂本九とゲストで登場する男性俳優たちが「ムシられる」お洒落なドラマとして人気を博し、1964年2月には東宝で映画化された。この頃の日本テレビはこういうシスターフッドなドラマもちゃんと作れたのだ。 『第14回NHK紅白歌合戦』の裏番組は通常編成だったが、大晦日の年末特番自体は存在しており、TBSテレビが19~21時まで高橋圭三の司会で『1963年歌くらべオールスター大行進』を放送していた。 これは1957~1968年まで放送されていたTBSの年末特番で、実質『日本レコード大賞』の前番組にあたる。 いや、『日本レコード大賞』も1959年から存在していたのだが、この頃は別番組扱いで開催日も一定しておらず、1963年は12月27日の放送だった。視聴率も20.7%で善戦はしているが、この時代の視聴率の基準だと特筆されるレベルでもない。 奇妙なのは、TBSラジオも『年忘れ歌謡スターパレード』と称して、22時まで歌謡特番を放送していることだ。番組名は違うが、出演者リストがほとんど同じなので、途中まではテレビと同時放送をしていたのだろうか。 ちなみに、1963年は新聞のテレビ欄とラジオ欄の比率が拮抗していた。これ以前はラジオ欄の比率のほうが高く、これ以降はテレビ欄が拡大していくことになる。 『NHK紅白歌合戦』の動向に振り回され、試行錯誤を繰り返していたこの番組は、1969年にようやく『オールスター大行進』第2部として『日本レコード大賞』が統合され、高橋圭三が引き続き司会を務めた。 これで視聴率30%を超え、翌年からは『日本レコード大賞』が『NHK紅白歌合戦』の露払い的な大晦日の定番番組となっていくのだが、2大番組となったことで他局の大晦日番組編成は更に無気力化してしまった。古い名作映画を流して体裁だけ装う、という編成が80年代まで続いたのだ。 次の記事『ヒット曲連発されるも賞レースが荒れに荒れた70年代! 『紅白歌合戦』の視聴率は常に70%超え!?』につづく。
更科 修一郎(コラムニスト)