「言語化がすべてではない」モヤモヤとの向き合い方 素人と専門家、それぞれにある役割
「そんな危ないことして大丈夫?」
清田:「桃山商事」という僕が友達とやっている活動は、元々はいろんな人の恋愛の悩みを聞いていました。恋バナから始まり、ジェンダー問題なども扱うようになって今はポッドキャストをやっています。 素人が何の専門知識もなく悩み相談を聞く活動に対して、精神科の看護師さんに「そんな危ないことをして大丈夫?」と言われました。 僕たちとしては危ないことをしている意識は全くなかったんですよ。ただみんなでわいわい聞いて、世の中にはそんな悩みがあるんだ、という感じでおしゃべりをしてたので、危ない目に遭ったことはありませんでした。でも、例えば依存されてしまったら大変ですよね。 思うに、これまで危険を回避できた理由としては、まず集団でやっていること。基本的に1対1では会いません。そして、一期一会で2時間という時間も決まっていました。お金はいただきませんが、聞いた相談は個人情報などの設定を変えてコンテンツとして紹介する可能性があると伝えていました。 あと、「こうしたらいい」といった行動指南はしません。そこまでは責任を持てないからです。結果的にそれらのことがよかったのかもしれません。 水野:そこはすごく大事で、意識しておかないといけませんね。
「モヤモヤ」のまま置いておける大切さ
水野:今回のイベントでは、「モヤモヤ」をテーマに話してきました。おふたりは今後、みなさんのモヤモヤや悩みを解きほぐすためにこうしていきたいと思っていることはありますか? みたらし:そうですね。私は朝日新聞のRe:Ronで「味方でありたい」という連載をしていますが、その人の悩みを解きほぐしたいから何かを伝えるというよりは、一緒に共感し合いながら考えていく、そんな仲間でありたいという気持ちが強いです。 あと、言語化することがすべてではないと思っています。 心にとってヘルシーな状況は何なのか考えたとき、「モヤモヤをモヤモヤのまま、置いておける環境や力があること」という結論にたどりつきました。 ですから、無理に解体したり、答えを出したり、意味をつけたりしなくていい。 「生きる意味って何なんだろう?」の答えがずっと出ないままでも大丈夫という状況にあることが大事だと思います。 みなさんのモヤモヤをそのまま大事にしながら、でも、解体したいときは一緒に解体しましょうという姿勢を持ち続けることが今の私にできることなのかなと思いました。 清田:素人にできないことを知っておくことは大切ですが、素人にできることもたくさんあります。 モヤモヤを自分の中に置いておくためには、適度にガス抜きができたり、数時間だけでもちょっとだけ気が楽になったり、そういうところは素人の出番だと思います。 適切な分析や治療法などにつながるための知識や道筋、元気は必要ですよね。そこは素人が担える領域ではないでしょうか。 素人は専門家の知見を学んで専門家ぶるのではなく、素人と専門家の間にある境界線を知ることが大事だと思うんです。 素人が素人として素人の矜持を持ちながら、いい感じの素人になっていくみたいな。 水野:いい感じの素人、いいですね。 みたらし:専門家が上で素人が下というのではなくて、同じ分野の中で担い合ってるものがあるので、力を合わせてみんなで支えあっていけたらいいですよね。 水野:より良い社会に向かっていくために、モヤモヤに対してメディアには何ができるか、期待することは何かありますか? 清田:先ほどの話の続きになりますが、素人の人たちへ良質な知見などを伝えて、分厚い素人の層を耕していってほしいですね。 みたらし:メディアは登場する人に権威を与えてしまう側面もあると思うので、取材したりゲストに呼んだりする専門家も素人も、人選に関しては意識していただきたいと思います。 それと、臨床心理士をしている中で感じるのは、個人の問題は社会の問題でもあるということです。 その点はあまり知られていないのでメディアに分厚く取り上げてほしいなと思っています。 水野:そうですよね。個々人の悩みが実は社会課題とつながっていて、あなたが悪いのではなくて社会の構造がおかしいよと、もっと伝えていけることはありますよね。 これからも小さなモヤモヤを大切に発信していきたいと思います。