「言語化がすべてではない」モヤモヤとの向き合い方 素人と専門家、それぞれにある役割
求めているのはコミュニティか、カウンセリングか
水野:みたらしさんはいかがですか? みたらし:ひとつ立ち止まって考えたいのが、その人がなぜモヤモヤを小出しにするコミュニティがほしいのかというところです。 友達がほしい、共通の話題がある知り合いがほしい、日々のしんどさを共有できる仲間がほしいというなら、そういうコミュニティが広がっていけばいいなと思います。 一方で、自分の悩みを吐露したいというのであれば、もしかしたらまず行く先はコミュニティではなく、カウンセリングかもしれません。 ここがすごく難しいところで、専門家から見たら本当はこの方はカウンセリングにつながったほうがいいと思われるケースも多々あります。 まずは安全な枠ぐみを守ってくれるカウンセリングに行って、気兼ねなく一方的に話していい場所を作っておいた上で、日々を過ごしていくなかで友達を作っていってもらうと、より安全なコミュニティが形成されやすくなると思います。 水野:場合によっては一方的にずっと悩みを聞かされる友達もつらくなってしまいますしね。専門的なアドバイスもできないので、抱えていられないというか。 ちょっとしたグチだったらお互いに言い合って支え合うことはできると思うんですけど、ヘビーな悩みで数時間話してもつらさが減らないとなると違いますよね。 みたらし:むしろお互いに危険になってしまうから、専門機関の方がいいかなと思います。
受け止める側が気をつけるべきは
水野:モヤモヤを受け止める側にも気を付けたほうがいいことはありますか? 誰かの不安を聞いているとメンタルの保ち方が難しいときもあると思うんです。 みたらし:そうですね。特に私が受けていた臨床心理士のカリキュラムの中では、自分の心の健康を維持することもプロフェッショナル性を保つことのひとつだと言われています。 まずは自分のメンタルがヘルシーな状態で聞いたほうがいいし、その上でサポートしてもらえる環境があるかどうかというのは大切です。 私が教官から教えてもらったのは、「カウンセリングというのは、あなたの話をする場所ではない」ということでした。「相談者の方の体験の話なので、あなたが分かってるふりをしてはダメだ」と。私は私の解釈しかできないんですよ。つらいだろうな、悲しいだろうなというのは、実はすべて私の解釈になってしまう。 自分でいくら客観視しているように感じても、それはすべて主観なんです。だからこそ、できるかぎり精査する。境界線は意識しています。 水野:ちゃんと線を引かないといけないですね。清田さんはいかがですか?