野村克也監督「死球くらいでガタガタ言うな!」野村ヤクルトと長嶋巨人が“大乱闘”…ノムさんに狙われた巨人落合博満40歳「落合は何を考えとるんや」
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。 その書籍のなかから、「巨人落合博満、開幕戦の夜」を紹介する。野村克也の挑発、メディアの批判、そしてナベツネ激怒の事件……“最悪の空気”を落合が一振りで変える。【全2回の前編/後編も公開中】 【貴重写真】「まるでプロレスやん…」野村ヤクルトと長嶋巨人“伝説の乱闘”&「一茂のお尻を叩いて…」落合が指導する姿や伝説の開幕ホームランもすべて見る ◆◆◆
野村克也「落合は何を考えとるんや!」
「落合は、貝になるというとるそうやが、何を考えとるんや。ファンあってのプロ野球選手なんやないのか?」(週刊ベースボール1994年2月28日号) 1994年春、ヤクルトの野村克也監督は、西都キャンプに集まったマスコミを通して落合と長嶋巨人に対する挑発を繰り返した。前年に日本一に輝いた野村は、「最近のスポーツ新聞は3枚も4枚もめくらんと、野球の記事が出てこんやないか」とサッカーのJリーグブームに危機感を募らせていた。世間の目を野球界に向けさせる意図も兼ねたリップサービスは、「野球は、頭でするスポーツ。長嶋が飛んだり、跳ねたりしてるうちはヤクルトは安泰」とライバルを攻撃する内容がほとんどだった。 94年に入っても、サッカー人気はとどまることを知らなかった。1月に国立競技場で行われたヴェルディ川崎と鹿島アントラーズのJリーグチャンピオンシップ第1戦には、5万3553人もの大観衆が詰めかけ、セ・リーグの川島廣守会長は野球人気回復に向けて異例の声明文を理事会で発表。前年の巨人キャンプは、長嶋復帰と松井秀喜入団で空前の盛り上がりを見せたが、その松井が背筋痛で東京居残りということもあり、宮崎キャンプを訪れるファンの数も3分の1ほどに減少していた。だが、仮にノムさんの話題作りの一環であろうと、言われた方は当然いい気分はしない。「落合が抜けた中日は怖い」とまでボヤかれたオレ流は、珍しく感情的なコメントを残している。 「(ID野球は)一番ぶったたきやすい野球だよ。セオリーなんか一番たたきやすい。本当に強かったら、巨人や中日に負け越したりしない。古田がこけたらチームもコケるよ」(週刊ベースボール1994年2月21日号)
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