「国家の命運は目先の軍事力ではなく経済力が決める」――大河ドラマの原作となり得る金融家の生涯
近代日本の申し子かつ立役者
出版にあたり、著者は全212話を4部に分けたうえで、論語の表現を用いて年代順に「立志篇」「自立篇」「不惑篇」「知命篇」と名づけている。奇しくも経済史家の大島真理夫氏が、近著『近代日本経済の自画像―「西洋」がモデルであった時代』(思文閣出版/2024年)において、日本の自国意識の変遷の観点から、幕末開港から第2次大戦終結までを4つの時代に区分している。 大島(2024)の時代区分では、第1期(1858~1886年)は「半開」国という扇動と複数の自画像の時代、第2期(1886~1905年)は共有された「文明国」の自信の時代、第3期(1905~1931年)は「一等国」の自負心とその動揺の時代、第4期(1931~1945年)は自作した「孤立国」の焦燥の時代であるとされる。 多少のズレはあるが、本書における是清の人生にとっての「立志」「自立」「不惑」「知命」の時期が、大島(2024)における近代日本の時代区分とほぼ対応している点が興味深い。是清は、近代日本の申し子であると同時に、近代日本の立役者の一人といっても過言ではない。
「奴隷」だったのか?
以下、本書の内容を紹介したい。 第1部「立志篇」では、1854~1890年頃にかけての是清を取り巻く時代環境と是清の足取りが描かれる。生い立ちから、幕末の横浜での英語の勉強とアメリカでの冒険、明治維新後の英語教師や相場師、農商務省での特許制度導入、ペルーでの銀山開発といった若い時期のさまざまな経験が語られる。 是清は、ペリーが浦賀に来航した翌年の1854年に生まれ、「半開」国としての日本が世上騒然とする幕末に横浜で英語を学び、さらにアメリカ留学の機会を得た。この時期の是清は、随所に卓越した能力の片鱗を見せつつも、多感で冒険好きな性格が時に災いし、毀誉褒貶の激しい生活を送っていた。 著者は、自身の調査をもとに若干の補正を施しながら、是清の自伝の記述を丹念に辿っていく。例えば、「アメリカで奴隷に売られた」という自伝の有名な一節は若干の誇張を含んでおり、是清のアメリカ渡航の手引きをした日本在住のユージン・ヴァン・リードは自伝の中では悪人として描かれているが、実際には日本人のために善行を積んでいた人物であったのではないか、といった見解を示す。 第2部「自立篇」では、1892~1907年頃にかけて、是清が日本銀行へ入行し、日銀副総裁として日露戦争時の外債発行の全権を担って奮闘する姿が克明に描かれる。海外においてはロンドンを主な舞台に、欧米の金融市場関係者と直接対峙して数次にわたる多額の外債発行を成功させ、国内においては「国家の命運は金融にあり」との認識が浸透する中で、是清自身も政府要人の信頼を獲得していった。 本書の中で是清は、戦費調達のためロンドンに向けて旅立つ際に、日本政府の首脳たちの前で「どうやらこの戦争は正貨獲得の戦争になりそうですな」とつぶやく。著者は、陸海における日露戦争の戦況と、ロンドン市場における日露両国の公債利回りを並べて示しながら、日露戦争が実は資金調達を巡る戦いであったことを鮮やかに示す。