なぜ大谷翔平はこれほどまでに愛されるのか? 一挙手一投足が話題を生む、新しいタイプの国民的スーパースター像とは<RS of the Year 2023>
「見られる」ことを意識した新庄剛志のパフォーマンス
なぜ、大谷翔平という野球選手は、ここまで多くの人に愛されるのだろうか。 たしかに、大谷翔平は野球選手として唯一無二、超一流の実力を持つ。投手、打者の両方でトップレベルのパフォーマンスを発揮する選手など、100年以上の歴史を持つ野球界でも彼しかいない。 ただ、アスリートとしての実力が突出しているだけでは、ここまでの人気を獲得することはできない。彼が“野球の枠”を飛び越えて支持される理由は、そこだけではないはずだ。 ネットニュースやSNSを見ると、プレーのすごさだけではなく、彼の持つキャラクターにフォーカスした記事や投稿が異常なほど多いことに気づく。 ベンチでチームメイトと無邪気にはしゃぐ姿。通訳の水原一平さんと仲良く談笑する姿。グラウンドで、さりげなくゴミを拾う姿――。真剣な顔でプレーする姿とは裏腹な、無邪気で、純粋で、礼儀正しいその素顔が切り取られ、多くのファンの目に届けられている。 過去を振り返っても、ここまで“プレー以外”の挙動が注目を集めたアスリートは類を見ない。あえて言うのであれば現北海道日本ハムファイターズの新庄剛志監督の現役時代もそうだったが、新庄監督の場合は自発的に「見られる」ことを意識したパフォーマンスであり、大谷翔平のそれとは一線を画す。
すべての有名人が“炎上”と隣り合わせの時代
自発的か、そうでないか――。 ここに、国民的スーパースターの生まれにくい令和の時代でありながら、大谷翔平が支持される理由が隠されている。アスリートの素顔を知るうえでもっとも有効なツールは、やはりSNSだろう。国内外問わず、トップアスリートがSNSで自身のプライベートや意見、考え方を発信することは決して珍しくない。 ただ、大谷翔平は少し違う。インスタグラムのアカウントは保持しているが、その投稿にはプライベートな姿や個人的なメッセージがほとんど見られない。彼の素顔が垣間見られるのは、前述したグラウンド上でのちょっとした仕草や、チームメイトとのコミュニケーションに限られる。ただ、その姿が多くのファンに“刺さる”のだ。 現代ではアスリートに限らず、“有名人”と呼ばれる人間すべてが“炎上”と隣り合わせの日々を過ごしている。いくら好感度が高くても、人気があっても、なにか一つ“事件”が起これば、それまで築き上げてきたものは一瞬で崩壊する。 炎上の理由を突き詰めていくと、そこには大抵の場合“ウソ”がある。清廉潔白だと思っていたのに……。家族思いの良いパパだと思っていたのに……。競技に真摯に向き合う真面目なアスリートだと思っていたのに……。真実かそうでないかは別にして、周囲に与えているイメージが“ウソ”だったと思われた、もしくは気づかれた時点で、多くの人はそれを裏切りだと感じる。それが“炎上”につながるのだ。 一度でもSNSをやったことがある人ならわかるはずだが、「自発的」になにかを発信するうえで、そこに一片のウソも混入させないことはなかなか難しい。どんな人間も、「他人に見られる」ことを考えた時点で、「どう見られたいか」という意識が少なからず作用するからだ。いくらSNSで「素顔」「本音」をさらけ出したとしても、そこに隠された些細な「ウソ」が明るみに出るリスクがある。そしてその発信を見る側も、それを敏感に察知する。 しかし、例外も存在する。それが、大谷翔平だ。日本中が毎日のように目にしている大谷翔平の「素顔」は、あくまでもグラウンド上で、彼が無意識に行った所作が第三者によって勝手に切り取られたものだ。そこに本人の意識は介入していない。つまり、「ウソ」がないのだ。 チームメイトと無邪気にじゃれ合う少年のような姿も、グラウンドで見せる礼儀正しさも、ゴミを拾う真摯な姿勢も、そのすべてがウソのない大谷翔平の姿だからこそ、多くのファンはそれを安心して見ることができる。