「渋沢家は財閥にあらず」: 99歳のひ孫・雅英さんが語る「渋沢栄一はパブリックな仕事を一生懸命やった人」
渋沢栄一が設立、運営に関わった主な銀行・企業・組織(現名称)
・みずほ銀行 ・りそな銀行 ・王子ホールディングス ・東京ガス ・IHI ・いすず自動車 ・東京海上日動火災保険 ・東京電力ホールディングス ・東洋紡 ・太平洋セメント ・三越 ・東京メトロ ・キリンホールディングス ・清水建設 ・東京製綱 ・帝国ホテル ・サッポロホールディングス ・アサヒグループホールディングス ・大成建設 ・古川電気工業 ・富士通 ・横浜ゴム ・東洋経済新報 ・川崎重工業 ・東宝 ・帝国劇場 ・東京会館 ・東京銀行協会 ・日本商工会議所 ・東京証券取引所
渋沢家は財閥にあらず
「いわゆる実業家というよりも文化人というか、日本全体を考えた人だった。非常に敏感で危ないことには手を出さない人だったと思います。その代わりお役に立つことなら、例えば商工会議所とか帝国ホテルとか、人から話があると、自分で駆け回ってチームを集めて非常に一生懸命やった。パブリックな仕事を」 同時代を生きた三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎とは正反対の経営哲学を持っていた。雅英氏の講演録『岩崎弥太郎と渋沢栄一』(2010年6月14日)によると、岩崎は栄一を舟遊びに誘い、2人で独裁的に事業を進めて日本の実業界を牛耳ろうと協力を求めた。しかし、栄一は謝絶した。 その際に激論となったのは、栄一が唱えていた「合本主義」。その思想の根本は、「道徳と経済は両立する」という「道徳経済合一説」、いわゆる「論語と算盤(そろばん)」だった。利益の極大化を目的とする、当時としては米国流の稀有な資本家であった岩崎弥太郎の目には、皆でお金を出し合い日本経済の近代化を目指そうという栄一のアプローチは、甘いと映ったのだろう。 渋沢栄一は、表1にあるように現在でも日本の代表的な多くの企業を興した。しかし、長期にわたり運営した例は少ない。 「だいたいね、他の人が考えて、こういうことをやると日本のためになるんじゃないかって言うと、栄一は『それはいいね、是非私も一緒にやりましょう』と。後援者の役割の方が大きかったんじゃないか」 99歳の高齢とは思えないほど、渋沢雅英氏の記憶はしっかりしている。また、説明も明快だ。「渋沢財閥」と呼ぶ向きもあるが、雅英氏は即座に否定した。 「呼べませんね。渋沢が(当時の)1000万円だとしたら、相手(三菱や三井)は3億とか5億とか持っていて巨大な支配力があるわけですよ。栄一は影響力を持つだけのお金は欲しいんだけど、それを大事にして自分が大きくなろうという気はあまりなかったんじゃないか」