映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』主人公のモデルとなった写真家リー・ミラーとは? 『ヴォーグ』モデルから戦場カメラマンへと転身したその歩みをたどる
アメリカ軍の最初の5人の女性従軍カメラマンに
1932年、マン・レイに別れを告げNYに戻ったミラーは、自身のスタジオを構え写真家として躍進。1934年、エジプト人実業家アジズ・エルイ・ベイと結婚するとカイロへわたり、砂漠を旅する冒険家として数年を過ごした(その後離婚)。 1940年からはフリーランサーとしてイギリス版『ヴォーグ』を舞台にポートレイトやファッション写真を手がける。しかしロンドン大空襲やそこで暮らす市民の取材をきっかけに、より社会的な写真を手がけるようになる。 第二次世界大戦下で、ミラーはアメリカ陸軍の従軍カメラマンとして活動を開始。戦局よりも戦時下に暮らす人々にフォーカスし、戦争の残酷さと人間の苦悩を克明にとらえた作品を数多く発表した。とくにノルマンディー上陸作戦や、ブーヘンヴァルとダッハウの強制収容所でナチスの戦争犯罪の跡をとらえた写真は、今日まで歴史的意義を持つ。
ヒトラーの浴室に入る
またミラーの仕事で注目すべきは、雑誌のグラビアや報道写真に留まらず、シュルレアリストのアーティストとしての視点も失わなかったことだ。殺害された男性や自死した女性を撮影した写真にも、マグリットなどを想起させる奇妙な美しさが現れている。 象徴的なものに、《ヒトラーの浴室のリー・ミラー》(1945)という写真がある。これはドイツの取材旅行を同行していた写真家デヴィッド・シャーマンが撮影したものだが、ミラーとの共作とも言えるもので、ダッハウの強制収容所の取材を終えた数時間後に撮られたものだ。ヒトラーのアパートで数日を過ごした彼女は、「ヒトラーでさえ、ふつうの人間の習慣を持っていたようだ」と書き残している。 日常性とおぞましさ、被写体の美しさといった通常ではあり得ないショッキングな組み合わせはシュルレアリストらしい手法であり、様々な感情を掻き立てる強烈なイメージとなっている。 戦争に加わった女性たちを撮る また彼女の仕事の特筆すべきものとして、『ヴォーグ』上で掲載された軍務に関わる女性たちのポートレイトがある。さらにパイロットや消防士などの勤労動員された女性たちも撮影し、『ヴォーグ』で「戦争へいった女性たち」という大特集が組まれている。こうした写真群は女性たちの力を示すと同時に、ナチスドイツに対抗するための戦意高揚の一翼を担うことにもなった。 また戦後も、オーストリア、ハンガリー、ルーマニアといった戦争の爪痕が残る地域で社会の再構築を目指す女性たちや、デンマークで独自のネットワークを築いた女性たちなど、国境を跨いで様々な女性や子供たちへとカメラのレンズを向けた。 戦争の最前線でカメラを構え、つねに危険と隣り合わせの状況に身を置いていたミラー。その選択は、女性の社会的地位が現在よりずっと低かった当時において、勇気のあるものだったと言えるだろう。 ただしその代償も大きかった。従軍による経験から、ミラーは鬱を患うようになる。戦地から帰ったあとは画家・美術評論家・収集家で夫のローランド・ペンローズとイギリスの農場で暮らし子供を得たが、晩年に至るまでたびたび鬱に悩まされた。1977年にイギリスにてガンで死去。70歳だった。