西城秀樹さん死去、YOUNG MAN、ギャランドゥなどがヒット 芸能史に残る功績
歌手・西城秀樹(本名・木本龍雄=きもとたつお)さんの訃報は、多くの人々を悲しませている。16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったという。63歳だった。2003年と11年に脳梗塞を発症し、右半身麻痺の後遺症が残っていたが、最後までリハビリを続けていたという。 歌手の郷ひろみや野口五郎とともに新御三家として、絶大な人気を誇った西城さんの芸能界に残した功績を振り返ってみたい。
当時の子供なら誰でも真似をしたくなったマイクアクション ライター演出では悲劇も
西城さんといえば筆者の場合は、いの一番に派手なマイクアクションを思い浮べてしまう。1974年2月リリースの8枚目のシングル「薔薇の鎖」は、マイクスタンドを振り回しながら歌う、当時としては斬新でセクシーな振り付けが絶唱型のハスキーな歌声と見事にマッチし、すでにスター街道を登り始めていた西城さんの人気に拍車をかけた。筆者が小学生の頃、休み時間になると教室の後ろで箒を持った男子たちが競って真似したものだ。 マイクアクションといえば日本では矢沢永吉が有名だが、西城さんは元祖といっていいだろう。もともと小学生時代から洋楽を愛聴し、バンドも結成していたそうで、ジェフ・ベックをはじめビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、ジャニス・ジョプリンなど海外のアーティストの影響を色濃く受けていたようだ。日本ではまだ珍しかったマイクアクションは、海外志向の西城さんにはぴったりフィットするスタイルだったのだろう。 また、78年のヒット曲「ブーツを脱いで朝食を」では、歌唱中に小道具として、ライターを使用したパフォーマンスが話題を呼んだ。子供が真似をして火事を起こすという悲劇もあった。
72年に「恋する季節」でデビュー 日本レコード大賞でも歌唱賞2年連続受賞
72年に「恋する季節」でデビューした西城さんは、翌73年には「情熱の嵐」でオリコンウィークリー6位のヒットを飛ばした。この曲は5枚目のシングルだったが、客席のファンから“(君が望むなら♪)ヒデキー!”コールが大きな話題となってブレーク。郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれた西城さんの、その後の勢いはすごかった。 同年、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が連続してオリコンウィークリー1位を獲得した。絶唱型と言われる歌唱法はインパクトも強く、第15回日本レコード大賞で初の歌唱賞に輝く。 そして74年、前述の「薔薇の鎖」はそんなタイミングで登場した曲だった。その後も「激しい恋」、「傷だらけのローラ」と続き、第16回日本レコード大賞でも歌唱賞を受賞。ポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞となった。第25回NHK紅白歌合戦にも初出場、その後も人気は右肩上がりで、俳優としてもドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、映画『愛と誠』で映画初主演と、名実ともに芸能界のスーパースターになっていった。