855万人が命を落とした絶望の戦争に無惨な恐慌…悲劇の時代を超えて人類学が生まれた「意外な理由」
---------- 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。 ---------- 【画像】世界を変えたひとりの天才学者
「外部」の世界へ
哲学は紀元前5世紀の古代ギリシアで、ソクラテス、プラトン、アリストテレスによって始められたとされます。同じ頃にヘロドトスの著した『歴史』により、歴史叙述というジャンルが登場しました。ルネサンス期以降17世紀の古文書学や文献学の進展を経て、19世紀になると史料批判を重視する実証史学が確立され、今日の歴史学の基礎が築かれたのです。 18世紀後半のフランス革命後に生まれた社会に対する関心は、やがて19世紀初頭にコントによって社会学という学問に結実しました。プラトンにまで遡ることもできるとされる経済学はヨーロッパ列強の経済発展とともに誕生し、資本主義経済下における現象や経済システムについての研究を進めることにより発展してきたとされます。 こうした人文・社会科学の誕生と発展に対して、人類学は、それらとは異なる経路を辿って生み落とされました。人類学の進展の淵源は、自らが生まれ育った土地の「外部」への関心にあります。 15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパは、それまで経験したことがなかった規模でヨーロッパの「外部」を目の当たりにしました。その時代、ヨーロッパでは絶対主義国家が相次いで誕生し、国家と結びついた重商主義が発展し、大商人たちが大航海に出かけるようになったのです。そのようにして、出かけた先の様々な場所に暮らしている人々との間で関係を結ぶようになり、「外部」の情報がヨーロッパにもたらされるようになりました。 その後、産業革命や市民革命を経てヨーロッパは、地球上に植民地をどんどん広げていきました。その過程で、特にイギリス、フランス、オランダでは、探検家の記録や旅行記、宣教師の報告書などが積極的に利用されて、人間をめぐる研究が進められました。19世紀になると、人間の起源をめぐる生物学的進化論や「野蛮人」とヨーロッパ人を分ける学説が生まれます。