39歳で高齢出産して育児ノイローゼ気味だった私を救ってくれた「アメリカのママ友」の話 武内陶子
■能天気な私がまったく前向きになれず 私って自分が経験していないことに対しては、まったくもって想像力が働かないんですよね。楽観的すぎて、「大丈夫どうにかなる」と思い込んでしまう傾向があり、やり始めてから「あちゃー! 聞いてないよ~涙」とあたふたすることのなんと多いことか。 初めての出産の前、それはなんとなく予感はありました。 ある時、私の仲良しだったスタイリストさんがうちに遊びにきてくれて、わが家の状態をみてびっくり。 私は赤ちゃんが来てくれるのがただうれしくて、赤ちゃんのためにキルトのおくるみを手作りしたり、かわいいお靴をちくちく縫ったり。おくるみの端っこには1センチごとに刻まれたメジャーを刺しゅうして「ここに寝かせたら背の高さがわかって、どれだけ成長したかわかると思うの~」とか能天気なことを言っておりました。 それをみた先輩子育て母のお友達はぼうぜん。「陶子さん! こんなの縫っててどうするんですか? これもいいけど、おむつは? ベビーカーは? 下着とか洋服とか準備したの?」と、彼女のほうが焦っちゃって「使ってないベビーカー持ってきますよ!」とか「お古だけど」って言って、赤ちゃんグッズをいろいろと持ってきてくれたり本当にありがたかった。 それでも、そうかそんなものがいるのかーと感心するのみで全然状況がのみ込めない(笑)。なにせ想像力がないので、まあどうにかなるだろうと幸せなもんです。 そしたら、生まれてみたらびっくり仰天。1時間ごとにおっぱいはやらなくちゃならないし、なんで泣いてるか全然わからないし、背中にスイッチある? と思うほど、寝ていても下に置くと泣くからトイレにも行けないし。夫は忙しく昼間は一人で赤ちゃんとがっつり向き合って過ごすのだけれど、生まれてこの方そんな忍耐経験したことがないわけで。ほとほと参ってしまいました。能天気な私がまったく前向きになれず、かわいいはずの赤ちゃんが手放しにかわいいとは思えず、「私はおかしいのか?」と落ち込む日々。 そんな私を救ってくれたのは、アメリカでした。実は、「陶子が仕事を休めるのは育休中しかない!」と踏んだ文化人類学者の夫が、私の育休に合わせて、勤めていた大学からアメリカのスタンフォード大学に留学することを決めてきたのです。