「亡くなっても、言葉は残る」 谷川俊太郎さんと親交の詩人ら悼む声
谷川俊太郎さんの訃報に、親交のあった九州の関係者にも悲しみが広がった。 熊本に拠点を置く詩人、伊藤比呂美さん(69)は「詩の世界を広げた人だった」と悼んだ。伊藤さんが20代だった頃から、谷川さんとは詩の朗読会などで顔を合わせていたといい「詩を読む姿や生き様が格好よかった」と振り返る。 【写真で振り返る】詩人の谷川俊太郎さん死去 92歳 新型コロナウイルス禍の2020~22年、谷川さんと対話を繰り返し対談集を出版。伊藤さんはそれまで、作家の石牟礼(いしむれ)道子さんや瀬戸内寂聴さんら多くの人と「死」をテーマに語り合ってきた。谷川さんとの対談を通じ「死は分からないということが分かった」と区切りがついたという。 現代詩を「言葉の一番キンキンとしたところを押し広げる表現」とする伊藤さんは、1970年代に谷川さんの作品が出る度に「次はこう来るか」と熱中して読んだ。「本当に1人の人が書いているのかと思うほど、言葉の表現の幅を広げた」と評し「『マザー・グースのうた』の翻訳など絵本では、絵と言葉のコラボがある上、絵本を買った人に声に出して読まれないといけない。自分の詩を書くだけではない広がりがあるところが谷川さんの面白みだった」と語った。 谷川さんと画家の黒田征太郎さんの共著の絵本「じべた」を出版した、熊本市の「橙(だいだい)書店」店主の田尻久子さん(55)は「さみしいです」と悼んだ。晩年になっても常に新しいことを好んだ谷川さんは「死は経験したことがないから、死ぬのも楽しみ」と、死との“対面”すら興味を持っていたといい「そういう意味でも死を経験した谷川さんに(新たな)詩を書いてほしかった」と残念がる。 谷川さんとの付き合いは08年ごろから。詩人の伊藤さんが谷川さんらとの「連詩」を企画した際、店を会場として提供した。谷川さんは2階で詩作をしつつ、手持ち無沙汰になるとふらっと1階の店舗に下りてきた。詩を印刷するプリンターが足りないと言ったら翌日、谷川さん自ら買ってきたという。 「自分が偉いとも思っていなかったし、自分でできることは何でもご自分でやる人だった。とても軽やかな人」と振り返る。田尻さんが編集長を務める文芸誌「アルテリ」で石牟礼さんの詩をもとに、谷川さんが新たに詩を創る「空想の対詩」を寄稿してもらったことも。「じべた」は谷川さんの提案から生まれた。 田尻さんは「最近は、いずれそういう時が来るのかという気持ちと、谷川俊太郎はいつまでも死なないんじゃないかという両方の気持ちがあった」と振り返る。訃報を受け、「谷川俊太郎でも死ぬんだ」と述懐しつつ、こう語った。 「谷川さんは亡くなったけれども、言葉は残る。谷川さんの言葉との対話は続くわけで、その意味では、やはり谷川俊太郎はずっと死なないのかな」【福原英信、上村里花】