夏休み“宿題代行”今年もフリマアプリに続々出品 「子どものボツ作品」で稼ごうとする人も
「なぜ宿題があるのか」文部科学省の答えは…
宿題代行もさることながら、近年は生成AIで作成した読書感想文を提出する子どもが現れるなど、宿題そのものの意義が注目される機会も増えている。 昨年は、山形県新庄市の公立小学校が児童の自主性を促す狙いなどから、宿題を廃止したとして話題になった。こうした動きは、全国各地で増えつつあるという。また香川県高松市では、結果として不採択になったものの、昨年、宿題の原則廃止を求める陳情が市議会に提出されている。 宿題の要否について、SNSでは「親も宿題付き合ったりでめんどい」「やりたい子は、自由にやればよい」など歓迎する声も見受けられる。一方、子どもが「先生がしなくていいって言ってる」と勉強しなくなったり、成績が下がったケースもあるようだ。小学校1年生の子どもを持つ女性は、「(宿題があることで)今、学校でどんな内容を勉強しているのか分かってありがたい側面もある」と口にする。 日本における義務教育制度は明治5年(1872)に発令された「学制」から始まっている。宿題の起源について文部科学省に尋ねたところ「分からない」とのことだったが、さまざま調べていると、「明治時代にはすでにあった」との話も聞こえてくる。 ではなぜ現在、多くの小中学校、高校で宿題が出されているのだろうか。文部科学省の担当者は、以下のように説明する。 「宿題については制度として定められているわけではなく、各学校の方針・判断で出している状況です。具体的に何%くらいの学校で出されているのか、統計として調査しているわけではないため正確なことは分かりませんが、おそらくほとんどの学校が出しているのではないかと思います」 前述のように、近年では宿題の存在意義が問われたり、宿題を廃止する学校も出ている。文部科学省として今後、宿題に関する方針を示す予定があるのかについては、「宿題が必要ないということで廃止した学校があることは、報道などで承知している。ただし宿題を出さなくていい、出すべきだということについては、文部科学省として発信する予定はない」とのことだった。 大切なのは、宿題の有無ではなく、子どもひとりひとりが大人になったときに「何が身についているか」ではないだろうか。多様性がうたわれる今、宿題のあり方そのものを見直す時期に来ているのかもしれない。
弁護士JP編集部