2024年「司法の不祥事」相次ぐ…弁護士・裁判官・警察官・検察官が行った“世紀末”的な違法行為とは?
「警察官」(鹿児島県警)による内部告発つぶし
5月31日、鹿児島県警の元生活安全部長が国家公務員法違反で逮捕された。もっとも、この日の報道では、内部通報つぶしの文脈では語られていない。あくまで警察職員が犯罪を行った不祥事があったと、後に告発される側だったと発覚する側が発表しており、報道機関もいつものごとく、警察からもらった情報をそのまま垂れ流していた。 様相が変わってくるのは、6月5日頃である。元生活安全部長が、その背景にあった鹿児島県警の隠蔽(いんぺい)体質と情報告発の動機を語り、文書を託された北海道の記者が事情を語るなどしていくことにより、鹿児島県警が再審や国家賠償訴訟において不利にならないよう捜査情報の破棄を推奨していたことや、さまざまな警察関係者が関与する事件について隠蔽の画策があったことなどが示されていった。 本件で特に恐ろしいと感じたのは、隠蔽体質があったこと以上に、その隠蔽を実効ならしめるべく、メディアや職員に対しても容赦なく、法に基づく捜査の建前をとった、積極的な攻撃が行われたことだ。隠蔽という、ただ消極的であるよくある公的機関の保身体質を超えて、自らの権限を自由に行使できるという、暴力性・攻撃性があらわれている。 自分たちの不正を追及しているメディアがいるから、そこに捜索差押に入ろうなどという発想は、軍国主義か独裁国家の世界でなければ本来生まれるものではない。少なくとも、大っぴらにやって良いものではないという「恥」の概念があった。しかし、鹿児島県警は、そのような「恥」という意識すら失う極めて危険で慢心した状態にあったと言える。 内部告発を巡っては、兵庫県でも権力のすさまじい暴力性・攻撃性があらわれている。何らかの不正があったかのような形式的な建前のもと、告発を受けた側によって権限が行使され、告発者側の生活が脅かされ、ついには死人に口なしとばかりに選挙でデマがばらまかれる。 中国では、2200年以上前、始皇帝や項羽と劉邦の時代に、権力者が鹿を馬であると述べ、それを馬だと認めた者は生き、鹿だと述べた者は殺されるという事件が起きた。馬鹿の語源である。 私たちは、「馬鹿」の時代に再び生きることになりかねないことに対し、恐怖を覚えるべきではないだろうか。