【痛みを伴う街のコンパクト化】居住を制限する「逆線引き」の功罪に私たちはどう向き合うべきか
戦後の高度経済成長期を中心に、日本は人口増加とともに急速な都市化を経験してきた。その進展に対応して、無秩序な開発を抑制し、計画的に市街化を進めるために都市計画法が定められ、その下で地域が開発可能な「市街化区域」と、原則開発を認めない「市街化調整区域」に分けられた。これは「線引き」と呼ばれ、都市開発のコントロールに用いられてきた。 【図表】市街化区域、市街化調整区域の面積の推移 図1は1970年から近年にかけての市街化区域および市街化調整区域の面積と日本の総人口の推移を表している。図中の青色の折れ線が市街化区域の面積、オレンジ色の折れ線が市街化調整区域の面積、灰色の折れ線が総人口である。いずれも1970年の値を1に基準化している。 それらをみると、総人口の増加に伴い、70年代には市街化区域の急速な拡大が進み、そうした急速な都市化を抑制するために市街化調整区域も拡大した。80代から90年代にもこうした拡大傾向は続いたものの、変化率はゆるやかになった。近年は総人口が減少してきたこともあり、おおむね横ばいとなり、無秩序な都市の拡大は食い止められたようにみえる。
人口減少によるコンパクトシティへの転換
都市計画法が人口増加と都市化への対応であったのに対して、近年の少子高齢化や人口減少への対応として、2014年に改正された都市再生特別措置法の下で創設された立地適正化計画制度は、居住を誘導するエリアや、医療・福祉・子育て支援・商業施設等の都市機能増進施設の立地を誘導するエリア、およびそれらの方針等を定めている。これは人口動態の変化に応じて住民が暮らす範囲を徐々に狭めて、いわゆるコンパクトシティを目指す試みである。 減りゆく人口の下でインフラや公共サービスを維持できるような都市、また、高齢化への対応として自家用車に頼らない都市を目指そうというわけである。その過程で上記の誘導エリアではない市街化区域が生じることになるが、こうした場所を市街化区域から市街化調整区域に変更するのが「逆線引き」である。